住職に聴く!怒りの正体 -仏教による驚きの心理分析-

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。
http://endo-ryokyu.com/blog/


アースキャラバン2017京都にて アミナダブの演奏

怒りの正体 -仏教による驚きの心理分析-

1)「“自分には罪がない”と思う者だけがこの人を裁きなさい」(聖書)

-- 先日の法話ライブ(※)に出て来た、「“自分は正しい”とする人は、愛のない裁判官になる」というお話しは、私にとって、とても教訓になりました。

法話ライブ「般若心経は逆さに読め!」 2017年4月15日

住職:そうですか。
「“自分には罪がない”と思う者だけが、この人を裁きなさい」という、聖書に出てくるイエスの言葉は、さすがだと思いますよね。

-- どうして人は、「自分は正しい」とするのでしょうか?
それが故に時に怒り、また攻撃的になったり、あるいは他人を評価したりするのでしょうか?  
他人を傷つけても、自分を正当化したり、、、。

住職:極端に言えば、怒りというのは、「言い訳」なんですよ。
正当化しないと成立しないものが「怒り」なんです。

-- ええー!? 怒りは感情ではなく言い訳なんですか!? 
そうなんですか!!?

住職:つまり、「自分の感情を他人の責任にする」ための言い訳として、人は怒るんです。
怒ってごまかす、と言ってもいいのかな。自分にも人にも。

-- ええーっ? 

住職:例えば、相手が自分の意に沿わないことをしたとしても、それに対してどう反応するかは、本人次第ですよね。

-- はい。

(2)相手への期待と怒りは比例する

住職:というのは、心理学では怒りを「二次感情」と言うんです。相手の行動と自分の怒りに、直接の関係はない、と。

-- 先日の住職のブログ「怒りについての研究(1)」に、当時、唯一の食料だった米を盗んで行った人に対して、怒るどころか声を出して笑った、という下りがありましたね。

住職:そうそう。あれ面白かったなぁ、、、。
そういえば、今思い出したんですけど、これ、オーストラリアのワークショップで起こったことです。
参加者の中に、一緒に写真撮って欲しい、と言ったりと、やたら近づいて来るハンガリー人がいたんです。

-- はい、、、。

住職:その人は、“参加費は、三日目の昼休みに銀行に行ってから払うから、それまで待ってください”、とスタッフに言っていたんです。
でも、三日目の昼休み、“銀行に行って来る”と言って出たきり、帰って来なかったんです。

-- ええぇー!?

住職:実際には経費でいろいろ大変だったんですけど、あの時も何だかおかしくって、、、。
で、スタッフと彼をネタにしてジョークを飛ばし合い、さんざん笑わせてもらいました。

-- ええー!? またどんなネタですか?

住職:「あのハンガリー人さ。きっと今頃、“オレがENDOにタオ指圧教えてやったんだぜ”」とか言って、ツーショットの写真をクリニックに貼っているよ。」とか、まあそんな、たわいもないことですけどね。

-- 住職、電話するなどして請求もしなかったのですか?

住職:そもそも払う気があったら、あんなことしませんよ。
それに、やり取りを考えただけでも疲れるし。

-- えぇ、、、!?

住職:何日も笑いが止まらないほど笑ったんで、終いには、何だかかえってこっちが申し訳なく思ったほどでしたね。
それで、“こんなに笑わせてくれたんだから、あいつに金払わなきゃね”なんて、またネタにしていました。

質問文 -- そうだったんですか、、、。私はその人の図々しさにほんと驚きます。
住職を利用する気満々だったのですね。

住職:何だかマヌケな感じがして、僕的には憎めないですけどね。散々、笑って元取ったし。

-- 住職のそういうところにも、驚かされます! 
利用された、とか思わないんですか?(笑) 

住職:別に被害者意識とかはなかったですねぇ。

-- 先のブログにも「被害者意識がなかったから怒りが湧かなかった」ということが書かれてありましたね。
一体どうしたら、被害者意識を抱かないで済むのでしょうか?

住職:日常的に起こり得る範囲に限って言えば、相手から物質的、または精神的に何かを得ようという想いがなければ、仮に意に沿わないことが起こったとしても、特に被害者意識は生じないですよ。

-- あっ、そうなんですか?

住職:まあ「イヤだ、困ったなー」とかは思うかも知れませんが、もともと期待がなければ被害者意識は起きないです。
すると、怒りも生じないんです。

-- 先のオーストラリアやブログに書かれていた人に対して、住職は何も期待していなかったから、被害者意識が生じなかったのですね。
それで、怒りが湧かなかったんですね。

住職:相手に対する期待値と怒りは、まさに表裏一体ですね。
また仮に、怒ることで相手が自分の期待通りに動いたとしても、その場合は、相手がこちらの剣幕に怯えて降伏したということです。
それって戦争みたいなものだから、誰も幸福にならないですよ。

(3)怒りの原因は相手ではなく、自分が潜在的に抱いている恐怖感

-- ところで住職、さっきの二次感情と言うのは?

住職:そうそう。
まず一次感情というのは、嬉しいとか、その時起こった出来事への反応として生まれる感情なんです。
でも二次感情と言うのは、自分に内在しているものを投影しないと起こらないものなんです。

-- うーん、、、、。

住職:両者の違いをわかり易く例えると、“あの時は嬉しかったなぁ”などの過去の感情は、後で思い出しても、そのときと全く同じ気持ちにはなりませんよね。
でも怒りって、過去のことでも、まったく同じにような気持ちになったりするでしょう。

-- はい、確かにそうですね。

住職: 過去に起こった出来事に対して、同じように怒りを持続することができるのは、その時の反応というよりも、内在した、もともと持っているものだからなんですよ。

-- なるほど。

住職: 怒りって、とっても複雑なんですよね。二次感情なんで、そもそも相手の行動と自分の怒りに、直接的な関係はないし。

-- でも人は、相手の行動によって怒りを誘発されるわけですよね。

住職: 怒りの原因は、過去において、社会(通常は親)から取り込んで内在化したものなんです。

-- 親から受けたダークな仕打ちを、自分に内在化させたことの結果と言うことですか?

住職: そういうこともあります。内在化というのは、自分も親と同じようなことをするようになる場合と、そうでない場合がありますよね。少なくとも、表面的には。

-- そうでない場合というのは?

住職: されたことを反面教師として、真逆を指向するようになることです。例えば親がお金にルーズな人だったら、極端に潔癖症になるとか。

-- なるほど。

住職: あるいは子供の頃、親に理不尽な叱られ方をして傷ついて、自分が親になった時は真逆になって、今度は自分が子供を叱れない親になるとか、、、。僕なんかは、そうですね。ははは。

-- そうなんですか、、、。でも同じことをやってしまう人が多いですね。

住職: 真逆の場合でも、内(無意識)には同じものを持っているんです。でも、それを否定して生きているから、極端に走ったり変なところで現れたりするんですよ。

-- へぇー。

住職: 例えば僕も、街で親が子供に理不尽な叱り方をしているのを見たりすると、胸が痛くなって耳を塞ぎたくなるし、親に何か言ってやりたくなります。傷ついた子供の頃の自分を内に持っているのもありますし、内在化しているんでしょうね。

-- 直接相手に何かされた場合でも、怒りはそれに対する一次反応でなく、過去の亡霊に対する投影反応なんでしょうか?

住職: 生物的危機に対して起きる一次感情は、恐怖であって怒りではありません。怒りはあくまでも二次感情です。二次感情である怒りは、自分に内在する恐怖に対する対処法なんです。

-- ということは、本人的には相手に対して怒っているように思っている、でも実際は、内在化している恐怖が投影的に働き、自分勝手な被害者意識に陥って怒っている、ということなんですね。

住職:まあ言わば、そういうことですね。怒りの原因は相手にあるのではなく、自分が潜在的に抱いている恐怖です。

 

(4)自分の感情の責任を他人に負わせる

-- でも普通、「私が怒っているのは、相手が悪いからだ」と思いますよね。

住職:だから厄介なんです。先にも言いましたが、そもそも自分に内在化していないものには投影が働かない。たとえ相手に何かされても、感情的に反応しないんです。

-- ああ、そうなんですね。

住職: 「宗教的経験の諸相」(ウィリアム・ジェームス)という宗教心理学の本の中に、「何度騙されても、人を信じる宗教的な人間」という言葉が出て来ます。

-- はい。

住職: このような人は、自分の中に“人を騙す”という心的要素がないから、騙す人間の気持ちがピンと来ないんですね。内在化している恐怖がないから、騙されても、被害者意識は起きないし、怒りでは反応しないんです。

-- 普通は、「何度騙されても人を信じる上に、怒らない」と聞くと、“このお人好し!”と思ってしまいますけどね。 私などそう言う人をみると、それこそ怒りに似た感情がでてきますよ。「なぜ学ばないの? なぜ怒らないの?」なんて。

住職: まあ、世間的尺度では、“あいつは馬鹿だ”となるでしょうね。そういえば、遠藤周作の小説に「お馬鹿さん」というのがありましたね。

-- 現代の東京にキリストが現れて、人々に“あいつはなんてお馬鹿さんなんだ”と思われる、という話ですね。ところで、逆に「それって怒るようなことかなぁ?」と思うようなことで、烈火のごとく怒る人っていますよね。

住職:怒りのツボ(原因)は、人によって全く異なりますからね。

-- それを考えると、やはり怒りの原因は相手ではなく、内在化の問題なんですね。これまで私は、怒りは相手の言動に対する感情的な反応だとばかり思っていました。

住職: 普通はそう思いますよね。

-- ところで、先ほどおっしゃた、「怒りが、自分の負の感情の責任を他人に負わせるための言い訳」って、一体どういうことなんでしょうか?

住職: 自分に内在する否定感情ってありますよね。簡単に言えば、自分はダメなんじゃないか、とか、、、。

-- はい。

住職: 相手の行動によって自己否定感情が投影を起こすと、自我が脅かされ、危機を感じて、人は怒り出すのです。子供の頃に、周囲から取り込んで内在化させた自己否定感情には、抑圧された怒りもまた同居していますから。

 

(5)怒りを向ける相手は?

-- だから不安や自己否定感情、また危機感を感じやすい人ほど怒りやすいんですね。

住職: はい。もともと抑圧された怒りを無意識に抱いていることも原因です。

ーー相手の責任ではないのにも関わらず、怒っている人がいるのは、このためなんですね。電車が遅れているからって、駅員に食ってかかる人とか。

住職:天気予報のニュースキャスターは、とてもストレスが強いんです。天気が悪いと、「雨になったじゃないか。お前どうしてくれる!」って、知らない人から街で責められるからだそうです。そのストレスに耐えられなくて辞める人もいるらしいですよ。

-- えー!? そうなんですか?

住職: プロ野球のチームが負けると、監督の家に怒りの電話がかかってくるから奥さんは大変だ、という話も聞いたことがあります。昔の王様は、戦争で悪い戦況報告を持って来た伝令(兵士)を斬り殺したりしたそうですよ。

-- 信じられない、、、。

住職: 怒りというものは、そもそも理不尽なものなんですよ。本人は勝手な理屈をつけていることでしょうが、客観的に見れば、“妄想的に投影して造った恐怖を相手に、自分がもともと持っていた怒りで戦うシャドウボクシング”ですから。

-- でもその相手をさせられる方にとっては、大変なストレスですよね。悪気なく、うっかり間違えただけでも、“あんたがちゃんとしないからだ”、と自分があたかも悪意で何かされたかのように怒る人なんかも時々いますけど。

住職: 不安や恐怖は怒りを生み、怒りは生贄を必要とするんです。

-- ああ、そうなんですか?

住職:凶悪犯罪がセンセーショナルに報道されることで恐怖や不安を感じた人は、怒って犯罪者の家族に非難を浴びせます。原因は自分の精神不安定だから、怒りをぶつけてそれが緩和できるなら、その対象は極端に言えば誰でも良いのです。

-- なるほど、、、。

住職: 人は一般的に、相手を選んで怒りをぶつけています。

-- どのような基準で選んでいるのですか?

住職: 相手が状況上、立場上、あるいは性格上反発できず、恐怖や怒りなど、自分のネガティブな感情の責任を負わせることが可能な場合に限ります。

-- でもそれ、フェアじゃないないですよね。

住職: フェアじゃないのは自分でも無意識にわかっています。だから、正当化が必要になるのです。そして人は通常、世間の基準を盾にして自分の怒りを正当化します。

-- 何らかの基準を持ち出して「自分を正しい者」としなければ人は怒れない、ということなんですね。自分に反撃できない人間を選んで怒りを向けるのは、一体なぜなんですか?

 

(6)怒りとは何か?

住職:反撃されたら危険ですからね。動物と同じで、本能的に選ぶのです。そもそも怒りを向けるのは、「威嚇」という動物的な行為なんです。

-- 一体、何のために威嚇するのですか? 

住職: 恐怖などの危機意識を抱いた時、相手を威嚇することによって危険を回避できるからです。また、誰かに怒りをぶつけることで威嚇し、生贄にすることで自己の優位性を確認し、自我の安定を計るのです。

-- ああ、そうなんですか。

住職: 例えば「“プライドを傷つけられた”と思った」とします。これは自我の安定にとって危機です。そこで、自分の優位性を示す必要が出てくる。そのために誰かを威嚇する。これが怒りをぶつける、という行為なのです。

-- 自分が下位に置かれる不安が強い人ほど、怒り易いのでしょうね。でも、なぜ自分の優位性を示すことが必要になるのですか?

住職: 猿にとって、優劣による上下関係は死活問題なんですよ。食事量も異性獲得のチャンスも全く違いますからね。「猿社会は上下関係に厳しい」と聞くと、“猿は人間に似ている”、と思うかも知れません。でも実際はその逆で、人間が猿に似ているんです。

-- そうだったんだぁ! それにしても、怒りの表出が、集団内における社会的優位性を得ようとする動物的な威嚇行為だなんて、これまで思ってもみませんでした。人間って、猿とあまり変わらない動物なんですね。

住職: 天上界にも、死ぬときの嘆き悲しみがあります。でも、猿や人間のような、怒りを向けて威嚇するなどの下等な行為はありません。

-- そうでしょうね、、、。

住職: 上位の霊界は、イエスが言ったように、“自らを低くする下の者が上の者になる世界”です。自らを下に置けば置くほど徳が高いからです。ということは、社会的上下関係や立場の優劣などが生じないのです。

-- なるほど。世間によくある、家柄がどうだとか、地位がどうだとかを意識するのは、徳を基準としていないからなんですね。

住職: それは、集団の規範を死活問題と捉えている“猿的”な心性ですね。

-- その他、何ごともきっちりしていないと気が済まなくて、周囲の人が適当にやると怒りまくる人もいますね。私の親戚にそういう人がいました。

住職: 不安が強いんでしょうね。きっちりしていないことが、その人の自我の安定を脅かすことになるんです。大雑把な人は、付き合うのが大変でしょうが。

-- 一般常識から言って、上下関係に厳しく、きっちりしてる人ほど社会的に立派なんだ、みたいに思っていました。しかし、まさかそれが心性的には猿に近いとは! 

住職: 宗教にしても、自分が上に立って他の人を見下したり、自己を正当化して他の人を評価し、攻撃するようになったら、終わりです。その人は、猿に近い原始人的な心性の宗教をやっているということです。原始人も葬儀程度の宗教はやっていましたしね。

-- はは、なるほど。

住職: 怒りを心理的に分析すると、「人は、あさましい自分の心を見る智慧がないが故に、自分を正当化する。そして、愛のない裁判官となって人を評価、断罪する。そんな自分の闇を見ないための言い訳として<怒る>」ということです。さらに総じて言えば、怒りをぶつけることは、動物的に他者を威嚇する行為で、霊的には「自己の魔界の生贄」になることを相手に強要することなんです。

-- 今日お聞きした「怒りの分析」は、私が今までの人生で考えてもみないことでした。なんだか頭がくらくらして、めまいがしそうなほどです!(笑)

 

アースキャラバン2017京都 後ろに見えるのは住職が自腹で購入したア―スキャラバンのマスコットキャラクター「キャラボン」。

 

インタビュー後記

「怒り」ほどやっかいなものはないと感じてきました。ですから、今回のインタビューは、とても興味深いものでした。次から次へといろいろ聞いてみたくなり、聞きそびれてしまったことも、多々あります。

なるべく人を怒らせず生きていきたい。
でも、それをやろうとしたら信じられないくらいストレスがたまって、信じられないくらい疲れる、、ということがわかってきました。(無理するからです)

怒りは内在化した恐怖に原因がある・・これは、今回住職の精緻な分析で納得できました。
それでも私は、これからも「まるでシャドウボクシングのように」自分の造った影に怯え、その相手をしてくれる人を探して怒り続けるのでしょうか?

それとも「もう怒りません」と宣言できるのでしょうか?
自分の怒りを正当化する愚をやめることができるのでしょうか?

それにしても、住職も怒ることがあるのでしょうか?
怒らずに生きるのは、どうしたら良いのでしょうか?

それから、インタビューの最後の「自己の魔界の生贄」・・・なんだかおどろおどろしいですね(笑)。でも、怖いもの見たさで、じっくり聴いてみたい気がします。