住職に聞く!第十七回 伝えることは利他かエゴか? 

住職に聴く!

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

プロフィール

遠藤 喨及 東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください

島根県匹見、和田寺
島根県匹見 浄土宗和田寺

 

 


和田寺住職、遠藤喨及氏遠藤喨及プロフィール

東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。
1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。
また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助NPOアースキャラバン事務局等、さまざまな精神文化の発信拠点となっている。
著書に、「<気と経絡>癒しの指圧法」(講談社+α新書)、「気の経絡指圧法安らぎのツボ実技篇」(講談社+α新書)、「気心道」(だいわ文庫)、「タオ指圧入門」(講談社α文庫)等があり、いずれも数か国語に翻訳出版されているほか、五カ国語で出ているDVDブック「気心道とタオ指圧」(タオ出版)、DVD「<気と経絡>タオ指圧」(医道の日本社)等の映像がある。 一方、音楽家としては、ミディレコードよりライアル・ワトソン推薦版である「ウォーター・プラネット」を含む、五枚のソロアルバムをリリースし、内外のテレビやラジオでオンエアーされている。また、自ら率いるバンド、遠藤りょうきゅう& LAMANI でもCDアルバム「アミリタ」を発表し、ライブ活動を行っている。
遠藤喨及個人ブログページ  http://endo-ryokyu.com

 

 


第十七回

 

 
――さて、「寄り道篇」も終わったことですし、「第16回 住職に聞く」の続きをお願いしたいと思います。

 

住職:久しぶりですね。

 

――住職は22歳のとき、仏さまの実在を体験された。それによって、心身に驚くような変化が生じたということをお聞きしました。

 

住職:そうなんですよ。心が変わっただけでしたら、単なる自分の思い込みだと思ったかも知れません。でも、いつもガチガチに緊張して、堅く不快だった身体(存在感覚)が変わったんです。

 

――どういう風にですか?

 

住職:脱力して、柔らかく快い身体(存在感覚)になったんです。
そしてもちろん、それに伴うかのように心も変わりました。
身体が変わったんでは、さすがにアマノジャクな僕でも、否定のしようがありませんでした。

 

――なるほど。それに加えて、“無意識に人に対して、気の作用を及ぼすようになった”とも、おっしゃいましたが、実は私、その話に、とても興味があるんです。

 

住職:うまく説明できるかなあ、、、。とにかく、その頃の自分は、実在している如来(仏)さまの影響を、日常的にがんがん受けているわけですよ。

 

――はい。

 

住職:ふわーっと、大霊の作用を受けて、全身の細胞がジンジンと気持よくなったり、、、。
身も心も、温かく融けてしまったようになったり、、、。
それから、喜びも悲しみも融けてしまいまして、、、。

 

――へぇー?

 

住職:喜びも悲しみも溶けると、ただ心が温かいだけなんですね。
ヘッセの「春の嵐」という小説に、「喜びと悲しみはーつのハーモニー」というような言葉がありました。

 

――あぁ、あのバイオリン弾きの話ですね。

 

住職:はい。でも、心の深い世界に入ってみたら、喜びも悲しみも奥ではーつでした。そこには、ただ温かな仏さまの大愛があったんですよ。

 

――そうだったんですか、、、。

 

住職:ようするに、びんびんに如来さまの大愛を、日常的に、からだで実感しているわけです。だけど、こんなこと言語化しても、あまり意味がないとも思うんですよ。まあ、今はしているわけだけど。

 

――意味ないとおっしゃると?

 

住職:今だってせいぜい、“ふあーっと大霊”とか、“じんじん気持いい”とか、“温かい”とか、まあ、そんなことを言っているだけじゃないですか。

 

――そうですか。

 

住職:聞いた人自身が、それを感じるわけではないから、実感そのものが伝わるというわけではないですし。

 

――なるほど。

 

住職:でも、僕としては、こんな素晴らしい世界を自分一人のものにしておくのは、もったいないから、道場に来て体験してもらいたい、とは思うのです。もっとも、“道場に来てもらいたい”ということ自体が、自己矛盾しているような、自己一致しているような、妙な感じがありましたね。

 

――妙な感じというのは?

 

住職:集中して修行や伝道に励むことになったのは、道場を去って放浪の旅に出るため(第十一回/住職に聞く!を参照)だったのです。
矛盾しているというのは、僕が人を道場に連れて来ようとした、そもそもの動機が、「自分が旅に出るため」だった。それは自分的な認識としては、エゴなわけですよ。

 

――はあ。

 

住職:でも、エゴなんかでは、誰も道場に修行に来ないですよね。
実際のところ、人のために、どんなことでも一生懸命お世話する、というような利他的な行為があって、それが心の琴線に触れた人。さらにその内の10人に一人ぐらいが道場に来てくれるかなぁ、という感じです。

 

――修行に入る人となると、さらに少ないでしょうから、なかなか大変ですね。

 

住職:でも、そもそも伝道というのは、そんなものでしょう。
キリスト教の宣教師なんかの行為を考えればわかるように。

 

――それもそうですね。ただ説教したところで、人が来るものではないですからね。

 

住職:そうそう。

 

――住職は、そうして利他的に人のお世話をしながら修行した結果、ひょうたんからコマのような回心体験(宗教体験)を得られたのでしたね。

 

住職:まったく期待していなかったことでした、、、。
もっとも、それで放浪の旅に出るという人生計画が、変更になったわけではありません。だから相変わらず、自分に課した義務としても、道場に人を連れて来なくてはならないんです。

 

――そうかあ。

 

住職:しかし同時に、自分が味わっている深い安らぎや喜び、また、仏さまの実在を実感することによって生じる、存在する快さの感覚。
それらを、他の人にも分ちたいという強烈な想いもあるんです。

 

――そうでしょうねぇ。

 

住職:でも同時に、“道場に人を連れて来るのは、自分のエゴではないか”という、心のどこかに罪悪感みたいなものもあるんですよ。
だから、エゴと利他が同居しているような妙な感じで、それなりに葛藤はしているんです。

 

――そういう意味だったんですね。 

 

住職:で、自分が行っていた、人に対する気の作用なんですが、、、。

 

――はい。

 

住職:それは、「自分の感じている安らぎや喜びを、相手の人の心身に浸透させる」というものでした。

 

――へぇー、どんな風にするのですか? ぜひ、もう少し具体的なお話をお聞きしたいです。

 

住職:では、次回に。

 

―続く―
 

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