住職に聞く! 第五回 御名(みな)を唱えるのは、仏さまとの愛ある関係性が成立するためです

住職に聴く!

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

プロフィール

遠藤 喨及 東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください

如来様


 


和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ

遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。

一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
 



遠藤喨及住職

住職 遠藤 喨及(えんどう りょうきゅう)

プロフィール

18歳の頃、音楽演奏中の神秘体験をきっかけに、念仏三昧の行を始める。 1991年、中央仏教学院専修課程(通信)卒業後の三年後、浄土宗にて伝宗伝戒を 受ける。またこの頃より、世界各地でタオ指圧や念仏ワークショップを行ない、その足跡 が、世界八か国の念仏サンガとなる。2007年、和田寺の住職に就任。音楽家としては、五枚のCDをミディレコードより発表。テレビ、ラジオでオンエアーされている。また、「気心道」(だいわ文庫)など、数冊の著書がある。


 
 

 


第五回
 

 

――大乗仏教と念仏の関係をお話頂きましたが、いやー、こんな
つながりがあったとは驚きでした。

和田寺の道場では、念仏修行を中心に行なわれているということ
ですが、仏を念じる、繰り返し仏の名前を唱えるのはなぜか?
また、その仏(如来)とは、そもそも何なのか・・、
その辺のところを聞かせていただけますか?

 

住職:まず、仏を念じるというテーマからお話ししましょうか。

仏さまの姿を念じることは、釈尊を思慕することから始ま
った大乗仏教が、最も基本的としてきた行なんです。
例えば、仏をイメージするに至る十五段階の瞑想法を説いたお経が
あります。
これは、「観無量寿経」というものですが、第八段階になってから
ようやく、”仏を念じるように”という言葉が出てきます。

それまでは、”美しい夕日をお浄土だと想って、夕日をイメージ
しなさい(日想観)とか、水をイメージしなさい(水想観)”
などが、準備段階としてあります。

それでいよいよ八番目になって、
「仏を想いなさい。心に仏を想う時、その心が仏なんだ。
心に仏を想うことが、心に仏を作るんだよ。」、と。

さらに、「なぜなら、仏は宇宙そのものだからだ。心の中にイメージ
として入るのだ。仏の智慧は、イメージによって生まれるのだ」
と続きます。

このテーマは、非常に奥深いものです。
例えば、なぜ仏を念じることが悟りをもたらすかなどを論じ出すと、
時間が全くなくなります。
だから、仏を念じることを、仏典ではどう説いているか?
にとどめておきます。

また、なぜ仏の名を繰り返し唱えるのか? ということですが、
無量寿経という経典に説いています。
それは、”阿弥陀仏の前身である法蔵菩薩が、「私の名を唱えて
浄土に往生しないものはいないように」と願い(本願)を立てられた。
だから、仏(阿弥陀仏)の名を唱えることには、限りない功徳がある”
というものです。

キリストの祈りにも、
「天にまします我らが父よ。御名があがめられんことを」
というのがありますね。
あるいは、「キリストの御名において」なんて言って、
エクソシスト(悪魔払い)したりもするでしょ。
神さまの名前は大事なんです。

例えば、人同士でも名前を知らなければ人間関係が成立しませんよね。
だから、神と人との関係だって、神の名が唱えられなければ成立しない
のですよ。

それにどんな風に呼ぶかでも、関係は変わります。
例えば、人間同士だって、「イヤ、奥さんなんて呼ばないで。
N子って名前で呼んで!」
なんて言うのがあるじゃないですか。というのは冗談(!)

もっともユダヤ教では、神さまの名前を唱えることはタブーで、
神を表現した「ヤハウエ」という文字を見ることしかできないのです。

なんと言っても、ユダヤ教の神さまは人間に罰を与える恐ろしい存在
ですからね。

「とりあえずは、罰与えられないように、言われた通りにしておこう」
といった存在です。

そのユダヤ教のタブーを破って神の名を唱え、
愛の神を説いたのがイエスだったのです。

イエスは、「アバ(お父さん)!」なんて、よく口にされていたようです。
妙好人という、鈴木大拙博士によって発掘された江戸時代の念仏者たちも、
阿弥陀さまを「親さま」と呼んでいますしね。

だから、神や仏の御名(みな)を唱えるのは、神や仏との情的な愛
のある関係性を成立させるためなんです。

さらに如来とは? というご質問ですが、、、。
言葉から言えば、如来とは真如から来た者という意味で、仏の別名です。

それで阿弥陀仏とは何か? と言えば、それは宇宙そのもののお方
であって、密教では大日如来、またキリスト教では、神と呼んでいます。

阿弥陀仏と大日如来、またエホバとか、それぞれ名前が違うわけで
すが、それは例えば、同じ人でも子供にはお父さんと呼ばれ、会社
では部長と呼ばれ、同窓会では山田太郎君と呼ばれるようなものです。

そもそも呼び方は、その人と他の人の関係性を表しているのであって、
その人自身ではありりません。
戸籍より芸名の方が有名な人だっているように。

そして、人が、心から南無阿弥陀仏と呼んだ時には、
宇宙大霊(如来)は呼んだ人に対して、その人の悪業をも抱きしめて
下さる慈悲の存在として、反応して下さるのです。

人が宇宙大霊(如来)を、エホバと呼んだ時にはキリスト教的な存在
として反応します。またアラーと呼んだ時には、イスラム教的な神
として反応して下さるでことしょう。

いずれにしても、人と宇宙大霊(如来)は、名前を呼ぶことによっ
て関係が成立します。
そして、呼ぶ名前によって、両者はそれぞれ異なった関係性で結ば
れるのです。

もっともこれは逆の言い方もできます。
キリスト教的な関係性が必要な人には、如来(宇宙大霊)は、
その人にキリスト教とのご縁を与えるでしょう。
また、イスラム教的な関係性が適している人には、如来はイスラム教
をその人にお与えになるでしょう。

だから、私たちは「南無阿弥陀仏」と、如来さまの御名を呼んでいる
ようでいて、実際には、如来様に呼ばれているということです。

―続く―

View all posts in this series
Comments are closed.