住職に聞く! 第八回 自己破滅から音楽神秘体験へ

住職に聴く!

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

プロフィール

遠藤 喨及 東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください

如来様

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ

喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。

一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

 

 


遠藤喨及住職

住職 遠藤 喨及(えんどう りょうきゅう)

プロフィール

18歳の頃、音楽演奏中の神秘体験をきっかけに、念仏三昧の行を始める。 1991年、中央仏教学院専修課程(通信)卒業後の三年後、浄土宗にて伝宗伝戒を 受ける。またこの頃より、世界各地でタオ指圧や念仏ワークショップを行ない、その足跡 が、世界八か国の念仏サンガとなる。2007年、和田寺の住職に就任。音楽家としては、五枚のCDをミディレコードより発表。テレビ、ラジオでオンエアーされている。また、「気心道」(だいわ文庫)など、数冊の著書がある。


第八回
 

 

――住職は、18歳のころに、音楽演奏中の神秘体験をきっかけに、
念仏三昧の行に入ったとうかがいました?

 

住職:いえ、そんなに、すんなりと念仏に目覚めたというわけじゃ
ないですよー。

 

――と、おっしゃると?

 

住職:ティーンエイジャーの頃は、ロックやってギターを弾いてい
たんですが、とにかく滅茶苦茶だった。
どこにも身の置き所がなくてね。
酒やタバコどころか、催眠効果のある鎮痛剤をボリボリ齧って、何日
も酩酊状態になったりしていました。
その頃、自分で付けたからだの傷なんて、いまだに残ってますよ。

 

――そうですか、、、。

 

住職:ひどい時には、記憶では、どう考えても3日しか経っていない
のに、カレンダーを見ると、四日経ってたというのが、ありましたね。
苦しまぎれに、ずっと酩酊状態だったんです。
いつの間にか一日増えているんだけど、一体何やってたのか? 全く
記憶がない。さすがに、ちょっと焦りましたね。
で、しまいには全身に蕁麻疹が出て、目も半分開けられない状態が
一週間ぐらい続いて、、、。
でも、家出中で保険証もお金もないから医者に行けない。それで、
高校の保健室で治療受けたりしていましたよ。

 

――そんなに、だったんですか?

 

住職:一番ひどかったのは、16―18歳の頃です。
存在していること自体が、つらくて耐えがたい。
そんな状態になると、生きていること自体が、ただ苦し過ぎ悲し過ぎて、
まず、普通の日常生活は送れなくなるのです。

 

――そうなる原因というか、理由の自覚はあったのですか?

 

住職:自分では、「何々だから苦しいんだ」とか、意識では思って
いても、実際には、“突如、無意識から沸き上がってくるわけのわ
からない苦しみに圧倒されて、、、”というのが、本当の所ではない
でしょうか?

 

――お家ではどうされていたんですか?

 

住職:先ほどもちょっと言いましたが、ようするに家出の常習犯です。
何度も何度も家出して、最後は、ある日、二階から飛び降りて裸足で
逃げ、それきり半年とか帰りませんでした。

 

――どこで生活されていたんですか?

 

住職:それは本当に、いろいろですね。
点々と、知らない人の家に居候していたりもあります。

 

――そんなこと可能だったんですか?

 

住職:今思うと、あの頃は、まだ60年代のヒッピー文化の残り香
がただよっていたんですね。
ヒッピーぽい人が集まる喫茶店とか飲み屋とかでウロウロして、隣の
席に座った人に、「オレ泊まるところないんだれど、今晩泊めてくれ
ない?」って聞くと、大抵「ああ、いいよ」って気安く泊めてくれてまして。

 

――へぇー、、、。

 

住職:まあ、“ラブ&ピース!”とか、フラワーチルドレンの名残り
ですね。その頃のドロップアウト若者文化には、“お互い助け合う
のが当たり前”みたいな雰囲気もありました。けっこう居心地が良
かったですね。

 

――東京で、そうだったんですか?

 

住職:はい。そんなんだから、何ヶ月も家出したままでいられるわけです。
抜け殻になった家に隠れて住んだり、コーヒー一杯で、朝までソファーで
寝れる深夜喫茶なんかで過ごしたり。
もっとも、その店はロックのレコードが、がんがん大音量でかかって
いるんで、とても眠れるような環境でもなかったんですが、カップ
ヌードル持っていくと、お湯までくれたりしていましたね。
言わば、そんな時代の空気に助けられて、僕は生き延びることができ
たのかも知れません。

 

――地方では、どうだったんでしょう?

 

住職:あの頃は、どこもそうでしたね。
15才の頃からヒッチハイクで野宿しながら、日本一周したりして
いたんですが、5千円だけ持って、地方を一ヶ月旅したこともありますよ。
もっとも最後には比叡山で、所持金が50円ぐらいになってしまったけど。

 

――良い時代だったんですねー。

 

住職:もしかしたら、僕がその時代の空気を体感した、最後の世代
かも知れないですね。
点々と居候していた頃は、何せ16歳だったから、「せいしょうねん」
なんて、ニックネームで呼ばれてましたし。
人が僕を紹介する時は、“「青少年」は、阿佐ヶ谷最後のフーテン
なんだぜ”なんて言われていましたよ。
そういえば、有名な元新宿の三大フーテンの一人で、ガリバーなん
ていうあだ名の人も、阿佐ヶ谷にいたな。

 

――16才だったんですか? ずい分と早熟だったんですね。

 

住職:13才の頃は、ニューヨークで新聞配達なんかしていました。
ちょうど、ビートルズの「カムトゥギャザー」なんかのヒット曲が
流れていて。
ラジオをカートに乗せて、ジョン・レノンの“カムトゥギャザー!”
なんていう歌声を流しながら、新聞配っていたんです。
街中に、ウッドストックのポスターが貼ったから、69年かな。
ちょうど、ヒッピーが全盛の頃です。

 

―― すごい時代ですね。

 

住職:野球場の近くにいたら、コンサートをやっていて、ジャニス・
ジョプリンの、すごい雄叫びが聞こえて来た、なんてこともありましたよ。
*ジャニス・ジョプリン:60年代後半の、伝説的な女性ロック歌手。
麻薬のため夭折した。

 

――ジャニスの生の声ですか? それはすごい!。

 

住職:アメリカの新聞少年は、夜に一軒一軒集金して回らなければ
ならないんです。
集金時にもらうチップが、一番の収入源だから。
で、夜に家を訪ねると、おばあさんが出て来て、子供の僕に向かって、
「あなたがベトナムで死なないことを祈っている」なんて、目に涙
をためて突然言ったりするんです。

 

―― ・・・ ・・・?

 

住職:その時は、何のことか意味がわからないんです。でも、後に
なって「もしかしたら、あの人の息子か孫がベトナムで戦死したん
だろうか」と、ふと気づくんです。

 

――大げさな言い方ですが、子供の内に、世の中の舞台裏を垣間見
てしまったのかも知れませんね。
それに、多感な時期に受けた、世の中の変革期の刺激は、さぞ強烈
だったことでしょう。

 

住職:北ベトナムへの爆撃も続いているし、ケネディ兄弟も暗殺さ
れていく中、愛と平和を訴える長髪のヒッピーが、裸足で街を歩い
ていましたね。
また、有名なマーチン・ルーサー・キング牧師(黒人の活動家)がワシン
トンで殺された日には、ちょうど同じワシントンにいたんです。
それで暴動が起こって軍隊が出動し、街に出られない、なんていう
こともありました。

 

――そんなアメリカでの様々な体験を経た上で、中学二年で帰国さ
れたんですね。
その後は、高校に入学されるわけですが、学校はどうでした?

 

住職:もう学校なんかイヤでたまらない。特に最初の高校は、お金持ち
の子女が通うような“ご立派”な学校で。僕みたいなのには、とても
耐えられませんでしたね。というわけで、家出して中退。

 

――それで、どうされたんですか?

 

住職:17才なんだけど、年齢偽って、家出したまま土方したり。
その後、引き続き家出したままですが、自分で適当に手続きして、
今度は公立の都立高校に転入してみたんです。
私立と違って長髪でいることが可能だし、制服を着なくても良いから、
なんていう単純な理由で。

 

――そこは、どうなりました?

 

住職:いやー、結局二つ目の高校も中退しました。ギターの練習しな
がら、家出しながら通うのも無理があるし、、、。
やがて、精神的にもそんな状態になっていったから、とても世の中に
順応なんかできないですよ。なんせ最後の方は、高校の水飲み場で、
睡眠薬かじって飲んだりしているんだから。

 

――結局、行き着いたところが、自己破滅の生活だったわけですね。

 

住職:・・・唯一の救いは、演奏中に体験する一瞬の心の輝きだけでした。

 

――で、その時に神秘体験があった。

 

住職:ホントに不思議な体験でした。
極度に精神集中して演奏していた、そのピーク時に、ある瞬間から
時間空間がなくなり、突然、すべてが光り輝いている世界が現れたんです。

 

――へぇー。

 

住職:もちろん、そんな体験は滅多にありません。
でも、二回ほどあった後で、ぼーっとしながら、漠然と思ったんですね。
“もしかしたら、悟りというのは、こんな感じなのかな”って。

 

――以前から、仏教とか悟りなんかに興味はあったんですか?

 

住職:いえ、もう全然。
あんなものは、マジメで堅苦しい人がやるもんで、自分には全く関係
ないと思っていました。

 

――宗教と言ったら、どんなイメージだったんですか?

 

住職:薄暗い教会の中にある、ステンドグラスのイメージですね。
そして、そこには、ネクタイをしめた善人たちが通っている、と。

 

――自己破滅に生きるご自分の世界とは、真逆というわけですね。

 

住職:はい、その通りです。
ただ、今考えると、必ずしも真逆ではないのかも、なんですね。
というのは、同じく自己破滅型の文学者である、太宰治や芥川龍之介は、
最後にはキリスト教に傾倒していくんです。

 

――へぇー、そうなんですか。

 

住職:それと、坂口安吾もそうです。彼は、安吾というペンネーム
でもわかるように、元々は悟りを求めて自分で修行していたんです。
「安吾」というのは、お釈迦さまの時代の言葉で、当時の僧侶は、
一定の住居を持たないんです。それが、雨期と夏期の年二回、一カ所
に留まって滞在した。それを「雨安吾/夏安吾」と言ったんです。

 

――なるほど、坂口安吾というペンネームは、そこから来ていたんですね。
となると、両者は、全く相容れない世界というわけでもないのかも
知れませんね。
それにしても、なぜその体験の時、ご自分の中から、「悟り」なん
ていう言葉が、ふっと湧いて出て来られたんでしょうね?

 

住職:はい、ずーっと不思議に思っていました。
でも、ジョニー・ボイドという女性心理学者が書いた、
『素顔のミュージシャン』という本を読んで、自分なりに納得する
ところがあったんです。

 

――と、おっしゃると?

 

住職:その心理学者は、ボブ・ディランやジョージ・ハリソンなど、
多くのミュージシャンと交遊関係を持っているんです。
それで、その本によると、一流と言われる多くのミュージシャンが、
彼らが「ピーク体験」とか、「神に触れる体験」とか呼んでいる、
ある種の宗教体験を音楽演奏中にしているんです。
 

―続く―

 

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