住職に聞く!第十二回 旅に出るための奇策と修行に対する疑問 

住職に聴く!

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

プロフィール

遠藤 喨及 東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください

 

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ

喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。

一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

 

 


遠藤喨及住職

住職 遠藤 喨及(えんどう りょうきゅう)

プロフィール

18歳の頃、音楽演奏中の神秘体験をきっかけに、念仏三昧の行を始める。 1991年、中央仏教学院専修課程(通信)卒業後の三年後、浄土宗にて伝宗伝戒を 受ける。またこの頃より、世界各地でタオ指圧や念仏ワークショップを行ない、その足跡 が、世界八か国の念仏サンガとなる。2007年、和田寺の住職に就任。音楽家としては、五枚のCDをミディレコードより発表。テレビ、ラジオでオンエアーされている。また、「気心道」(だいわ文庫)など、数冊の著書がある。


 

 


第十二回

 

 

――前回のお話しは、当時、修行に通われていた念仏道場の指導者には、
住職に後継者になることを期待している雰囲気があったこと。しかしそれ
は、生涯放浪に生きようしている自分は応えることができない。そのため、
大変苦しまれたということでした。

 

住職:はい、そんな感じです。

 

――そしてその解決のために、“奇策に打って出た”ということでしたが、
それは一体、何だったんですか?

 

住職:まず、なぜ自分みたいな者が、こんなに期待されるんだろう?
という分析から始めました。

 

――なるほど。

 

住職:そもそも自分は、社会からのはみ出し者として生きていたわけです。
だから、“こいつは、高校もやめちゃって、一体何やってんだか、、、”
と、世の中で普通にやっている人たちには、顔をしかめられて当然だろ
うと思っていました。にも関わらず、なぜそんな風に自分に期待したり
するのか?僕には全くわからなかったのです。

 

――今でこそ、不登校が10万人とか、引きこもりが100万人とか
言われていますが、当時は、今ほど高校中退者も多くなかったで
しょうね。

 

住職:終身雇用制もあって、一般には、「高学歴で、一流企業のサラリー
マンになることこそが、幸せ!」みたいな幻想が信じられていた時代。
そんな風に言えるかも知れません。息子が高校辞めるなんて(しかも、
ご丁寧に二つも)、親にしてみたら、極端に言えば人生終わるようなも
のだったみたいです。

 

――世の中に背を向けて生きて来られたんですものね。

 

住職:唯一自分にポイントが付くとすれば、それは、どう考えても若さ
しかないと思いました。当時、20歳前後でしたから。

 

――若い人はいなかったのですか?

 

住職:わずかにはいました。“親がやっているから”という、いわゆる
二世もいたんです。しかし、当時の僕のように、世間的な欲求には関心
がなく、世の中のことはさておいても修行に打ち込むという感じの人は、
いなかったのでしょうね。
そこの支部になっているお寺のお坊さんたちは別として、他の皆さんも
普通に仕事しながら、それなりに信仰を持ってやっているという感じで
した。

 

――なるほど。

 

住職:それに二世以外では、20歳前後の大学生ぐらいの年代の人は
皆無だったのです。

 

――そうですか。

 

住職:それで、僕は考えたのです。“若い人がいないから、こんなに
自分に期待するに違いない。ならば、これから若い人を15人集める
ことにしよう。”、と。

 

――どうしてまた、15人だったのですか?

 

住職:それぐらいの人数がいれば、自分の存在価値も薄くなるだろう、と。
そして、それにまぎれて二度と帰らない旅に出ることが可能になると、
考えたのです。

 

――へぇー。面白いことを考えましたね。

 

住職:もともと、友人でスピリチュアルなことに興味のある人がいれば、
よく道場に連れて行ったりはしていたんです。自分の想いとしては、
“良い体験を他の人と分かち合いたい”というのはありましたから。
もっとも、多少連れて行ったところで、続く人はいなかったのですが。

 

――それで、15人集まったのですか?

 

住職:いやー、これは自分に課してしまった、とんでもなく大変なミッシ
ョンでした。

 

――それはそうでしょうね。友だちや知り合いを中心に声をかけたの
ですか?何が一番大変だったでしょうか?

 

住職:友だちや知り合いに声をかけると言っても、まず、人ひとりを
道場に連れてくるということだけでも大変なことでした。そこに至る
までには、ひたすら、その人の話に傾聴したりと、いろいろお世話する
ことが必要になって来ます。

 

――ただ修行に来なさいと言ったところで、反発されるだけですものね。

 

住職:かと言って、実際に道場に来るまでに至るのは、ほんの僅かな
人です。しかし、誰が修行に来る可能性を持っている人かはわかりません。
だから、誰に対しても同じように接しなくてはなりません。時には、
入院している精神病院まで訪ねて行って、一生懸命お話を聞いたり、
お子さんの世話をしたりなんかもしていました。

 

――はぁー、昔の遊行僧がされていたようなことを無意識にされていた
んですかね。

 

住職:でも、人がいざ来てからが、また大変なんです。道場にはいろん
な人がいます。誰かを連れて行ったときに、さりげない気配りをしてく
れる人ばかりではありません。中には、説教しまくったり、長々と演説
垂れたりする人もいるわけですよ。

 

――ちょっと、困りますね、、。そんなことがあったら、どうなりますか?

 

住職:もう、二度と来ないですね。何ヶ月か、かかって、やっと来てくれ
た人が、道場にいる、やたら自分の話をしたがる人の演説一発でアウト
です。泣くに泣けませんでした。

 

――聞くも涙ですね。

 

住職:それに、その頃から、教義的なことにも疑問を感じるようになっ
て来まして。

 

――というのは?

 

住職:わかり易くいえば、宇宙の大霊を人格的な存在として捉えること
に対する違和感です。

 

――なるほど。キリスト教では、神さまという人格神を立てるけれど、
仏教は、そうではないですものね。

 

住職:一般の仏教においては、存在の実相は空です。すべては因縁に
よって成り立っているだけです。だから仏教には、キリスト教のような
創造主としての神さまという概念はないのです。

 

――では、阿弥陀様というのは?

 

住職:いわゆる浄土教における阿弥陀仏は、すべての人を救うために
法蔵菩薩が成仏された結果として生まれた存在です。だから、創造主
ではありません。仏教の哲学は、あくまでも「法身」(ほっしん)
という、姿かたちのない空を根源としているのです。

 

――ああ、そうだったんですか?

 

住職:しかし弁栄上人の教学体系では、キリスト教的な神の概念と
仏教の空の哲学が、全く矛盾せずに統合されるのです。

 

――すると、弁栄上人が光明主義で説かれた阿弥陀さまと、従来の
浄土教の阿弥陀さまとでは、概念的としては異なる存在なのですか?

 

住職:はい、そうです。でも、これを詳述するとなると大変です。
まず、浄土教の本質をどう理解するかという問題があります。
例えば、少し専門的になりますが、宇宙根源の仏とその現れとしての
存在(「本地垂迹」ほんぢすいじゃく)をどう解釈するか等です。
またこの話は、実は、世界にキリスト教が生まれたことの真の意義を、
弁栄教学からどう読み解けるかという問題までも含みます。だから、
話があまりにも長くなるので、ここではお預かりしておこうと思いますが。

 

――わかりました。それで、そこの道場の教学では、その辺の所はどう
だったのですか?

 

住職:今にして思えば、統合されていなかったのです。仏教の基本と
して、本来ならば空であるはずの法身を、人格神的な存在と捉えてい
たのです。
もっとも当時は、弁栄教学も知らないし、仏教の基本や哲学も知りません。
だから、言語化することはできませんでした。しかし直感的に、そこに
疑問や違和感を感じたのです。

 

――自分に対する期待を重荷に感じ、何とかそこから逃げ出すための方法を考
えていた。またその一方で、仏教の説く真理や修行についても、真剣に考えて
いらしたのですね。

 

住職:自分にしてみたら、道場の人間関係のしがらみと真理探究のための修行
は、 まったく別の問題でした。

 

――なるほど。それで、先の疑問や違和感については、どうされたんですか?

 

―続く―

 

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