住職に聴く! タオサンガ篇(15)

住職に聴く!

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

プロフィール

遠藤 喨及 東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください

 

ネパールで、住職自身が発明したボードゲーム(現在の「チャトランガ」を広めて

いるところ。どこに行っても友だちができるりょうきゅうさんの「能力」に は、 驚嘆して

しまう!

 

-- 前回は、浄土宗の僧侶になるための合宿に参加され、“お経が

オーケストラのような音楽として聴こえている中で、3週間の行を終えた”と

伺いました。

 

住職: はい。

 

-- 現在の和田寺も、メロディーのついたお経と念仏三昧で修行して

いますね。

 

住職:その他にも伝統的でない修行を、色々としています。

タオサンガ道場でやっている回向の方法論などは伝統にはない内容

です。

 

-- それらを始めるにあたり、住職には、「たとえ自分は地獄に

堕ちても」という覚悟があったことを知りました。人を導いていくことの

厳しさを感じました。

 

住職: もし間違ったことを自分が人々にお勧めしていたとしたら、

その方々は、間違った修行をした、というカルマを背負うことになって

しまいます。

 

--なるほど、、、。

 

住職:しかし、カルマを人に負わせるわけにはいきません。だから、

万が一そうだった場合、皆さんのカルマの分まで、全て自分が1人で

負うことにしたんです。僕としては、その決心抜きに伝統を超える内容を

人々にお勧めすることは、どうしてもできなかったんです。

 

-- そうだったんですか、、、。

ところで住職は、先日(2017年2月25日)の法話ライブで、“自分は

タオサンガ的にいえば、実はバツイチです”なんておっしゃっていました

が・・?(笑) 

 

住職: はい、20代の頃にも念仏の修行グループをオルガナイズして

いたことがあったのです。そのグループは自分で立ち上げたようなもの

だったんですが、数年後には、自分から身を引いてしまいました。だから

今回は、二度目の挑戦というわけです。それでまあ「バツイチ」、と。

 

-- なぜ、ご自身が自ら立ち上げたにもかかわらず、その修行グルー

プから身を引いてしまわれたのですか?

 

住職: 僕が創りたかったのは、他者をケアーする修行コミュニティの場

だったんです。そのような「場」は、そのグループの成員一人一人に、

少なくともお互いをケアーする心と行動がなければ生まれません。

 

-- そうですね。

 

住職: 他者をケアーするにおいては、

 

1)相手の問題を“他人事とせず、わがこと”すること。

2)肯定的関心をもって、相手に問いかけること。

3)相手の気持ちを想像し、共感しながら話を聞くこと。

 

の3つが基本になります。

 

-- 数年かけて15人の人間が念仏道場に集まるようになったのは、

住職が一人一人に対して、そのように接して来た結果だったのでは

ないでしょうか?

 

住職: たしかに、ただ声をかけただけでは、人は集まらなかったとは

思います。でも、そのグループの人たちには、僕が彼らにやっていたほど、

人を積極的にケアーしようという気持ちはないな、と思ったんです。

 

-- そうでしたか、、。それは、残念ですね。

 

住職: 僕としては、自分が見本となることで、皆さんにも同じように

他の人をケアーしてもらいたい、と思っていたんですけどね。

 

-- うーん、、、。

 

住職: それで、今サンガでもやっているような、相手の話を聴くトレー

ニングのワークなども、皆さんにしてもらったのです。でも、“そんな難しい

ことはできない”と言われてしまいまして、、、。

 

-- そうだったんですか、、。その頃から、、、。

 

住職: どうも彼らとしては、“自分が話を聞いてもらうのは良いが、

人の話を熱心に聞く気はない”ということのようでした。それで僕の

心は折れてしまったんですね。

 

-- 一体何に、心が折れてしまったということでしょうか?

 

住職: ただ一方的に気遣いを与えるだけの関係って、何人いても辛い

だけですからね。僕と彼らの関係性が、気遣いを「与える人」と「与えて

もらう人」でしかなかったということに気づいたら、もはや修行グループの

未来に希望を持てなくなったのです。

 

-- わかります。

 

住職: 他者のために親身になってエネルギーを使う気があまりない

人たちに念仏を勧めることに、果たしてどんな意味があるのか?

僕には全くわからなくなってしまったのです。

 

-- それでは、仲良しクラブ以上のものではないでしょうしね。

 

住職: はい。仮に続いたとしても、自分がケアーを受ける、という

メリットがある間だけでしかありません。それでは、ケアーを与える人が

いなくなればやめてしまうことでしょう。

 

-- それもそうですね。

 

住職: それで僕は、1人で念仏して行くことにしたのです。

 

-- その人たちはその後どうなったのですか? 住職抜きで修行を

続けられたのでしょうか?

 

住職: しばらくは続いたけど、やがて自然消滅したようです。

 

-- 責任を持つ人がいないと、そうなるでしょうね。それで今回、

2回目の挑戦というわけなのですね。今回のサンガはどうなのでしょう?

 

住職: 以前と似たような問題が一部で持ち上がってしまい、正直

どうしたら良いのか、わからない状態です。

 

-- えーっ、また同じような問題が持ち上がっているんですか。それは

残念ですね。 

 

住職: 先に述べた三原則を、ヒーリング・コミュニケーションと言いますが、

そのメソッドに基づいて人をケアーする人は、場に責任を持つ人です。

また、仏法僧の三宝を受持する(責任を持つ)人だと思います。

 

-- はい、そうでしょうね。

 

住職: もちろん、そのような人たちもいます。そして彼らは、道場外の人々

に対して、ヒーリング・コミュニケーションを土台に人々をケアーします。

 

-- タオ指圧の臨床はそうでないと、本来は成り立たないでしょうし、

タオサンガは、そのような人たちの場であって欲しいものですね。

 

住職: しかし、道場に何年も通っていながら、場に責任を持たない人も

います。そのような人に対して、僕としては今後どのように接して行ったら

良いかがわからずに、葛藤しているのです。

 

-- と、おっしゃると?

 

住職: たとえば、そのような人に対して、僕は外部の人に対するのと同じ

ようにケアーします。

 

-- そうでしょうね。

 

住職: 本来、メンバーであるその人は、ケアーされる側でなく、ケアーする

側であるはずです。しかし、その人が場に責任を持っていない以上は、

外部の人のようにその人をケアーしなくてはならないわけです。

つまり、形はメンバーなんだけど、精神的には、外部の人と同じように

扱わなくてはならない、ということです。

 

-- あっ、そういえば、、、そうですね。

 

住職: メンバーであるならば、本来もてなす側で「家の主人」です。でも、

他の人をもてなさないのであれば、その人は、もてなされる側になる。

つまり、「大切にケアーすべき、外部からいらしたお客様」ということになり

ます。では、たとえ在籍が長くても、内部の人としてではなく、外部の人と

同じ「お客様」として扱うべきなのか?と考えるわけです。

 

-- はい。

 

住職: かと言って客扱いというのも、なんだかご本人に対して失礼なような

気もするんですよね。

 

-- 住職は、そこまで気遣われるんですね。

 

住職: それに、日本天台の開祖最澄には、「受くる者は獄(地獄)に行き、

与える者は天に行く」という言葉があるんですね。

 

-- はい。

 

住職: これをコミュニケーションに当てはめれば、“他者に気遣いを与え

る者は天に行くけど、気遣いを受け続ける者は地獄に行く”、ということに

なります。となると、こちらが一方的に気遣うだけならば、僕はその人に、

地獄行きの切符を渡していることになります。

 

-- うーん、だとしたらケアーすべきではないのでしょうね。

 

住職: だから、長年道場に来ているけど、場に対して責任を持たない人に

対しては、僕は精神的ケアーを放棄すべきではないか、と思うんです。

 

-- その人のことを尊重するならば、当然そうなりますね。

 

住職: でも、自分の性分としては、人をケアーしないことも心苦しいのです。

だからと言って、ケアーを永遠にし続けるのでは、その人に地獄行きの切符

を渡すことになってしまう。うーん、そうなると、、、。と、思考が堂々巡りに

なってしまいます。

 

-- たしかに、、、。

 

住職: そうこうする内に、「責任を持たない人の集まりなら、以前と同じよう

に僕が身を引いたら自然消滅してしまうなあ。ということは、みんなが場に

責任を持って人々をケアーする、という自分の理想など、所詮夢物語だった、

ということなんだろうか? そもそも人間なんて自己関心にまみれているの

だから、所詮世界は変わらない、と諦めるべきなんだろうか? 」とかまで

考えたりします。

 

-- なんとまあ、そこまで、、、。

 

住職: それで最後には、「まあ、今回も諦めて、また3回目に挑戦する時が

来るまで待つかなぁ。2回目の挑戦を始めたのが10年後だったから、3回目

の挑戦を始めるとしたら、また10年後か、、、。3度目の正直っていう言葉も

あるしな、、、」なんていう想いまで、ふとよぎったりもするんですよね。

 

-- えーっ!?  ちょっと住職!

 

 

インタビュー後記

住職は、「存在がコミュニケーションそのものなんですよ。細胞そのものが

コミュニケーションしているじゃないですか」とおっしゃっていました。

 

この言葉を聞いた瞬間、いきなり、狭くて暗い世界から明るい世界へ飛び出した

ような自由を感じました。

 

たしかに一つの細胞は、となりの細胞を全身全霊で感じている事でしょう。

そこで私は、人間を一つの細胞としてイメージしてみました。

 

すると、「人間として生まれてきたということは、他をケアするという行動が

なければならないはずだ。」

 

また、「人間存在があるということの根幹に、どこまでも他を受け入れようと

する心がなければ、この世界はあっという間に消えてしまうのかもしれない、、、。」

と思いました。

 

なぜなら、“となりの細胞のことなど知ったことか!” となったらどうなるの

でしょうか、、、? そもそも生命自体が成りたたないのです。

 

今回のインタビューにおける住職のメッセージをどのように受け取るか、を考え

なければならない、と思いました。

 

タオサンガのコミュニケーション・トレーニングは、自分がどういうコミュニケーションを

しているのか? を見せてくれます。

 

人が成長できることがあるとすれば、それは自分のコミュニケーションのあり方を

見直すところからなのかもしれません。

 

住職が、「今は二度目の挑戦だけど、もしかしたら三度目の正直になるのかなぁ、、、」

とおっしゃっていたことから、これは人として真剣に向き合わなければならないことだ、

とあらためて感じました。

 

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