許しとは何でしょうか?

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なんでも質問箱

和田寺のなんでも質問箱に寄せられた「人生相談」
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プロフィール

遠藤 喨及 東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください

 

 

◎住職が以前に一日の中で飲む水の量についてお話されていたことが

ありましたが、それはやはり個人差があるのでしょうか?

自分の適した量をどのように見出されたのですか?




いやー、今はけっこう適当ですね。夏なんかなど1.5ℓ飲めますけど、

冬は無理だし、、、。




--水を一日2ℓ以上飲みなさいとかいう健康法もありますが( たくさん

運動をして汗を流す人は別として)  飲み過ぎではないかと感じています。




そうですね。飲めれば良いけど、無理してまで飲まなくても良いのではないかと

思います。





 

 

◎修行する女性が身を飾ったり、おしゃれをすることについてどのように思われ

ますか? それは自分のことにかまけることになるのでしょうか?




「華がある」という言葉があります。やはり女性は華ですからね。

大いにデコレートして、場に華をもたらして下さい。




維摩経1※では、そういうことに文句を言う「舎利弗」2※は、「維摩居士」3※に

やりこめられていましたしね。




1※維摩経・・・大乗仏教の理想像を元に、日常の現象こそが空である説いている。

2※舎利弗・・・しゃりほつ=お釈迦様の十大弟子の1人で、智慧第一と言われた)

3※維摩居士・・・大金持ちでかつ誰よりも深い悟りを得ているという、大乗仏教の理想像。










 

 

◎許しとは何でしょうか?




結果的に心をゆるませるもの。憎っくき相手がたとえ幸せであっても、それについて

心が煩わせられなくなるような精神的自由を言います。








 

 

◎昔から、新興宗教の勧誘にあったり、カルトの人に出会ったりすることが多いです。

被害などはありませんが、怖いです。自分の中の、何かしらそういう性質が引き寄せて

いるのだと思うのですが、どうしたら変えられるでしょう。




僕もよく、勧誘されていましたね。スピ系オーラ出していたんでしょうか?

街歩いていても、呼び止められていました。




でも、宗教的なことをいろいろと勉強しておくと、新興宗教やカルトの教義上の

間違いや弱点がよくわかります。




だから議論しても勝てるし、結構それが面白くて、20代の頃は新興宗教の

勧誘者相手によく遊んでいましたけど、考えてみたらイヤな奴でしたね。




この際、新興宗教やカルトについて研究してみたらどうでしょうか?

宗教学を学ぶ人にとっては絶好のフィールドワークになると思いますよ。




向こうにしてみたら、その宗教の教義をある程度は知っていて、ニヤニヤ

しながら矛盾点について質問して来る人って、イヤだと思いますよー。



 

 

◎小さいころ、想像や夢の中で、大好きな人や大切なものに触れようとして

手を伸ばすと、自分が刃物をにぎっており、恐怖ではっと目を開くということが

よくありました。

最近は、あまりそういった映像を見ることはなくなったのですが、自分がいることで

関わる人によくない影響があるのではないかという恐怖がいつもあります。

念仏に出会い、救われる思いがしましたが、完全には抜け出せずにいます。

向き合い方を教えてください。




問題は、「自分がいることで関わる人によくない影響があるのではないかという恐怖」

ですね。小さな子供の頃、せっかく「良かれ」と思ってやったことを、親に迷惑そうな

顔で何か言われたりすることが多いと、そんな恐怖を抱くようになり易いですね。

大切なものに触れると刃物だった、なんてそんな出来事があったことを象徴している

ような感じがします。




「自分がいることで人に迷惑をかけるのではないか?」という感覚は、僕にもあります。

今でもありますから、自分が人に負担をかけるような場には決していないようにして

います。(例えば、自分がいることで人が緊張するなら、その場からはいなくなるように

しています)




だから僕は、人と一緒にいる場では、自分が一方的に話したり、あるいは押し黙ったり

していません。人の未来に関心を持っていろいろ尋ねたりして、人の話を感心しながら

聞いています。




僕が人と関わる場合は、気遣って相手にくつろいでもらい、極力良い氣だけを与える

ようにしています。




そんな時は、「自分がいることで関わる人によくない影響があるのではないかという

恐怖」はないです。




人と一緒にいる場では、人の未来に関心を持っていろいろ尋ね、人の話を感心しながら

聞いたりされてはいかがでしょうか? そっちに忙しいと、とても恐怖しているヒマはないです。 








 

 

◎聖書で長年疑問に思っていることがあります。


キリストはユダの裏切りを知りながら十字架にかかりますが、おそらく、それによって

ユダが未来永劫憎まれることも、キリストにはわかっていたと思います。それでもユダに

罪を犯させたりするでしょうか?


そこまでのキリストの行動ひとつひとつは、預言者の予言を実現するためになされていて、

ユダなしに物語りは完成しなかったことになります。

そうだとしたら、キリストはあらかじめユダを許していたのではないかと思うのです。


2000年にもわたる憎しみの連鎖が、そこに端を発しているというのがどうしても納得

できません。どのように思われますか?  




これは2つのことがテーマになっているので、整理した方が良いと思います。


まず、「2000年に渡る憎しみの連鎖」ですが、これは”イスラム教徒のユダヤ人に

対する憎しみ”のことではないですよね?


だって、イスラム教はユダヤ教が元になっているので、そもそも憎む根拠がないのです。


実際のところ、アラブ地域におけるイスラム教徒とユダヤ教徒は、シオニズムの

始まりやイスラエル建国までは仲良く暮らしていました。


それがシオニズムによって一変したのです。まず、シオニストの最大スポンサーである

ロスチャイルドによって、パレスチナ人たちは次々と土地を奪われていきました。


そして、それが決定的になったのがイスラエル建国です。

無数の村が破壊され、多くの人々が殺され、また住んでいた土地から追放されて

難民になりました。


ナチスがユダヤ人にやったのと同じことがパレスチナ人に対して行われたのです。

そして驚くべきことに、それは過去のことではありません。


今も尚、パレスチナはイスラエルの占領下にあり、土地の略奪や追放が日常的に

続いています。現地に行くと、その現実を目の当たりにすることができます。





さて、アラブ諸国では、日本と同じように異宗教の共存は当たり前でした。しかし、

ヨーロッパのキリスト教徒は、大昔からユダヤ人を虐殺して来たのです。


その根拠としては、イエスが捕まったとき、死刑判決を受けた2人の囚人(イエスと

政治犯のバラバ)がおり、祭りのためにどちらかを恩赦で釈放することになって

いました。


当時のユダヤ人たちは、「反ローマの政治犯であるバラバを釈放してくれ。」と言いました。


裁判官のピラトは、「でもイエスには、罪状がないからなあ」と渋ります。

しかしユダヤ人たちは、「その結果は、俺たちの子孫が報いを受けても良いから」と言って

バラバを釈放し、その結果、イエスが死刑になりました。


それを元に、現在も尚、プロテスタントの教会では、イエスを見殺しにしたユダヤ人を

呪う祈りの言葉があるそうです。


※聖書ではバラバを強盗と書いてありますが、実際には反ローマの政治犯です。


イエスもユダヤ人なのですが、ヨーロッパのキリスト教会は昔から、ユダヤ教徒たちに

対して恐ろしい迫害や酷い虐待をしていました。詳細は書きませんが。


ユダヤ教徒の差別が始まったのは、ヨーロッパがキリスト教を国教とした以降の

ことです。だから、2000年前から、ってことはないと思いますよ。


また、ユダヤ教徒たちは反撃できなかったのですから、憎しみの連鎖ってこともなく、

彼らはいじめに耐えて商売に励んで来た、ということでしょうね。


ユダヤとユダは、カタカナは文字が1つ違うだけだけど、全く関係ないです。

ユダに関しては、太宰治が「駆け込み訴え」という短編小説で書いていいて、

それは僕がとても好きな作品です。





内容は、ユダがイエスを愛するあまり、、、なのに自分の気持ちがわかってくれないあまり、

イエスを売ってしまう、というものです。


実際、ユダはあとで後悔して、「あれ、やっぱりウソ!」と言いに行ったんです。

でも後の祭りでした。ユダは悔やむあまり、首吊ってしまうんですね。


何とも悲しい、愛の結末ですが、イエスはイエスの役割を、ユダはユダの役割を全う

したのですね。


もちろん、イエスは許していましたよ。

自分を殺すローマ兵のことも許していましたしね。






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