第三十回  ついにお釈迦さまが悟りを開いた菩提樹のある村、ブッダガヤへ!

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


第三十回

――第二十八話では天国と地獄が同居しているようなインドの話で、「オマエは、一体何なんだ」と自分の存在や生き方を、常に突きつけられながらの旅・・、「輪廻についても考えさせられた」とおっしゃっていましたが、、?

住職:人生経験の少なかった僕は、インドに行って、初めて人々の生活の苦しみを目の当たりにしたと思います。

――でも、それまでだって、ご自身でも、破滅的生活や食うや食わずの放浪生活を送るなど、それなりに苦しみを体験されたのではないですか? 

住職精神的にやむにやまれずそんな生活を送ったとはいえ、物理的には僕にとって選択肢のひとつであることは否定できません。

――・・・。

住職:それに対してインドの低層階級に生まれた彼らに選択肢はないのです。

――たしかに、日本とインドでは一人の人間が生きていく上での環境は、まったく違いますね。

住職:今はわかりませんが、当時のインドでは乞食の子に生まれたら、一生乞食として暮らす以外、他に選択の余地はありません。
また、便所掃除のカーストもありますが、それもまた一生便所掃除をして暮さなければなりません。
しかも、素手で便所を掃除しなければならない、と決められていたりもするんです 。

――はい、、、。

住職:「畑のネズミが隠した米しか食べてはいけない」という、半飢餓で生きることを余儀なくされているカーストまであるそうです。

――嫌がらせとしか思えないようなカーストもあるんですね。

住職:しかも、“今の人生の苦しみは、過去世からのカルマの結果だ”という論法で、多くの人々は納得しています。
そうなると彼らは、来世に良い家柄に生まれてくることに望みをかける他はないのです。

――そんな決まり事が当然のように慣習化していて、それ以外の人生観というものがありえないんですね。

住職:まあヒンズー教を前提にしていれば、そうです。
僕も、“なぜ彼らはインドのそんな家に生まれ、なぜ自分は日本に生まれて今こうしているのだろう?”、と輪廻を前提としてよく考えたのです。

――ああ、そうですね、同じ人間でありながら何故? と、、。

理不尽なことではありますが、考えてみると不思議ですね。

住職:生まれた家の、職業や経済状態以外も視野に入れれば、別にインドに限らず、日本だって学歴カーストとか教室内カーストとか、ママ友カーストとか、いろいろありますけどね。

――あはは。まあ、それもそうですね。

住職:インドの乞食たちは、“おまえは日本人で金持ちなんだから、オレに金を恵む(バクシーシ)のは当然だ”と、思って接して来るんですよ。

――そうですね、堂々としているんですよね、、。

住職:僕はそんなとき、決まって“なぜこの人はこのような人生を送り、自分はこのような人生を送っているのか? 偶然ではない。何か原因があるはずだ”、と思って考えていたのです。

――ところで、「輪廻」というのは、仏教の思想なのですか?
ブータンなどでは、死んでも生まれ変わるからお墓は作らないという話を聞いたことがあります。

住職:輪廻は、仏教というよりは、もともとヒンズー教の思想で、実はお釈迦さまは死後の世界はお説きにならなかったのです。

――ええっ!?そうなんですか。

住職:いやしかし、お釈迦さまは、別に死後の世界を否定していたわけではないんです。
ただ、そういう質問には答えなかっただけで。

――なるほど。

住職:輪廻思想が仏教の中に入ってくるのは、お釈迦さまの死後のことだと思います。
でも輪廻思想そのものは、キリスト教(カタリ派)やイスラム教やユダヤ教の一部にもあるんですよ。
またプラトンなども言及しているし、ユングも存在を認めています。

 

――へぇー、そうですか。

住職:輪廻思想は、ヒンズー教の思想というより、むしろ人類普遍の霊的理解だと思いますけどね。

――なるほど。

住職:ブータンはお墓を作らないのですか? そういえば、チベットも鳥に供養する「鳥葬」ですしね。

――ブータンは、火葬にはするそうです。

住職:そうですか。お釈迦さまは、葬式なんかしなくて良い、と言ったのに、弟子たちが葬式してお骨を細かく分け、各地に仏舎利塔を作りました。
まあ、それが500年後、大乗仏教徒たちの礼拝の対象になっていくわけですが。

――生きるのがつらい人なんかは、輪廻の存在を知っても、「えー、また生まれ変わらなくてはならないの?」と思うような気がします。
いまの人生をどう生きているかで、輪廻についての考え方も人それぞれになるのかもしれませんね、日本の場合は。

住職:古の昔は、生きるのがつらい、現世がつらいからこそ、来世での天国や極楽浄土に望みをかける、 という人たちがたくさんいました。

――あ、そうですね。

住職:でも、本当は人間として存在すること、つまり、人として生きることがつらくない人はいませんよ。
人生とは本来はつらいものだ、ということを忘れている時期があるだけで。

――ああ、、そうですね、忘れている、、。

住職:あるいは、存在の根源である「霊的な歓喜」を体感していないことによるかも知れませんけど。

――というと?

住職:たとえば、今が氷河期で暖房もなかったとしましょう。
生まれてこのかた、寒さしか体感したことのない人は、“人生そんなもんだ”と思っているでしょう?

――はい、寒さ以外の世界があることを知らなければ、そうでしょうね。

住職:そんな人が、一度でも温泉につかってその気持よさを体感し、温かさや快さの存在を知ってしまったら、どうでしょう?

span style=”color: #0000ff”>――寒さに耐える氷河期の暮らしは、つらいと思うでしょうね。

住職:それと同じようなものだと思うんですよね。
一度でも、如来の実在とその温かさを体感したり、浄土の霊的快感を体感するということは。

――なるほど。

住職:つまり如来の温かさや、浄土の快感を体感する。しかも温泉と違って、その温かさや喜びが無限に大きくなっていく。
すると、これこそが存在の本質であると気づく。

――その視点から、人生がどう見えるかということですね。

住職:はい、霊的歓喜に比べたら、人生の喜びは長続きしません。
たとえば、大学に合格して“やったー!”と喜んでも、それが続くわけではないですし、5月病になったり、3年後には就活で苦しんだりするかも知れません。
さらに年齢を経れば、五感の喜びは失われていくもの。
それが人生です。

――はい。

住職:お釈迦さまの「人生が苦である」という言葉は、まさにそこからきています。
――多くの人が“こんなもんだ”と思って、さして人生を苦しいと感じないのは、暖房もない氷河時代に生きていて、“そんなもんだ”と思っているようなものなんですね。

霊的な温かさや喜びを体感していないからなんですね。

住職:今回の人生で体感していなくても、過去世でちらっとでも体感していれば、予感が働くと思うんですけどね。

――それは、この世を超えた素晴らしい世界があるという「予感」なんですね。
でも一方では、死んだあとは何もない、という考えも根強いですが、、。

住職:予感していないことに加え、戦争のない時代に生まれて、死について、真剣に考えたこともないからではないでしょうか?

――たしかに、そうかもしれません。

住職:真っ暗で何もない部屋に一週間ぐらい入って、死について考えるような時があっても良いと思いますけどね。
あるいは弁栄上人みたいに、棺桶に入って念仏するとか。釈尊の弟子たちは墓場で寝たそうですが。

――死と向き合わざるをえない状況を、つくるわけですね。

死というのは、一番考えたくないことですね。知識として死ぬことは知っていても、、、。

住職:せっかく、死を考えることのできる唯一の動物である、「人間」に生まれたんだから、もっと死について考えて、より良く生きる糧にしてもいいと思うんですけどね。

――死について考えることは、より良く生きる糧になるんですね。

住職:さして死については考えず、明日の糧(貯金通帳)の心配だけして、その日その日を生きているなら、何のために人間として生まれて来たんだか、わからないですから。

――はい。

住職:死を自覚すればするほど、人間は有限な生を意義あるものにしよう、と思って行動すると思うんです。
逆に言えば、有意義に生きている人ほど、より深く死と向き合って生きていると思います。

――なるほど、そういうものなんでしょうね、、。

さて、その後どのような旅をされたのかも、伺いたいと思います。

住職:カルカッタの後は、プーリーというビーチに行ったり、、、と言っても10時間以上かかったと思いますが、また逆に北上してダージリンに行き、一転して暖房のないユースホステルで寒さに耐えたりしていました。

――いろんなところに移動したのですね。

住職:そこからは、バスを延々と乗り継いでカトマンズまで行き、しばらく沈没していました。

――沈没、、、ですか?

住職:あっ、沈没というのは、バックパッカー用語で、しばらく一か所にいて、動かなくなることです。

――あはは、なるほど。

住職:自炊道具なんかも手に入れて、街のバザールで米や野菜、また鶏肉とかを買って来て、宿の庭で自炊して食べたりしていました。

――へー!やっぱりカレーを?

住職:いや、雑炊なんかつくっていましたね。ネパールのカレーは辛くないんですが、当時のインドは口が痛くなるほど激しく辛かったり、また食あたりにもよくかかっていましたからね。

――そうですか。

住職:でも、おかげで免疫がついたのか、今は、毎年バングラデッシュに行っても当たることは、まずほとんどないですね。

――旅で食あたりになるのは、つらいですもんね。

で、その後は、、?

住職:ネパールからは、さらに「世界三大苦難のバスルート」と、秘かにバックパッカーの間で言われている、カトマンズからブッダガヤまでのルートを南下しました。

――ああ、ヒマラヤ山脈地帯ですもんね。

そうしますと、、ブッダガヤまで来たわけですね?

住職:はい、ついにお釈迦さまが悟りを開かれた菩提樹のある村に足を踏み入れたんですよ。
しかし、ここでのある出来事が、あとになってとんでもないことに、、、。

―続く―