住職に聴く!インド巡礼(11)

ーー 前回から、昨年インドのブッダガヤ

で開催された「国際サンガフォーラム」の

お話を伺っています。

 

フォーラムで住職は、スピーチだけ

でなく、第6セッションの議長も任された

のですよね!

その役割の1つが、各講演者の紹介で、

住職は、事前にメンバーにインタビューし、

肩書きではなく、各僧侶の

「人間としての物語」を紹介されたん

ですね。

 

住職: はい。

 

ーー 映像を拝見しましたが、

壇上で住職に紹介された僧侶の方々も、

皆、嬉しそうでした。

遠藤喨及スピーチ at  インド/ 国際サンガフォーラム

 

住職: 僕が皆の話を聞いて、

それぞれ感銘を受けたところを

「この人はすごいですよ。

この人のこんな所に、僕は感銘を

受けたんですよ〜!」と

讃嘆しながら紹介したんです。

 

ーー どうしてそうしようと

思ったんですか?

 

住職: 本能的ですね。

 

ーー 本能的、、、?

 

住職: 頭で考えたわけじゃないんです。

ただ、僕がみんなを盛り上げなかったら、

会場は盛り上がりません。

第6セッションで会場が

盛り上がるかどうかは、

議長次第なんです。

 


住職のスピーチ映像

遠藤喨及スピーチ at  インド/ 国際サンガフォーラム

 

ーー なるほど、それもそうですね。

 

住職: 会場の皆さんには

楽しんでもらいたい。

そして、登壇者には、

「会場を楽しく盛り上げるような

良い気を発してもらいたい。」

と思ったんです。

ようするに、第6セッションの

プロデューサー役ですね。

 

ーー ミュージシャンというのは、

そういう風にものを考えるものなんですか?

 

住職: そうかも知れません。ただ、

論理立てて考えたわけではないんです。

自分の行動を分析したら、

「きっと、無意識的にこう考えたんだろう

なぁ〜」とは思います。

 

ーー なるほど……

 

住職: 登壇者が良い気を発するためには、

僕自身が、各僧侶の素晴らしいところを

見て感嘆する必要があります。

僕は、その感嘆の気持ちを

会場の人たちと

分かち合おうとしたんです。

人が、他の人の長所を見て

讃嘆するならば、

自分自身の長所も発現しますし…….。

 

ーー そうなんですね。

 

住職: もっとも、別にフォーラムに

限らず、人々が集まる場では、

日常的にやっていることではありますが。

 

ーー あ、そうなんですか?

 

住職: そうでないと、

誰も楽しくならないですからね。

人は自分の良い所を観てもらっていると、

楽しくなります。

さらにそれを言語化してもらうと、

とても嬉しくなるんです。

 

ーー そうですよね!

 

住職: だから基本的には、

いつもその心の状態で人に

接するようにはしています。

ただし、人の潜在的な可能性を

いつも観ているというのは、

苦しみも伴うんです。

 

ーー えっ、そうなんですか?

 

住職: 潜在力とは、

ダイアモンドの原石のようなものです。

磨かなくては開発されません。

 

ーー それを観ることに苦しみも

伴うというのは?

 

住職: 原石を磨いて開発するとは、

殻を取り除くことです。

この殻が我(エゴ)ですね。

人の原石を観るというのは、

同時に、その人が取り除くべき殻、

すなわち我(エゴ)も

観るということです。

 

ーー ああ、

そうだったんですね。

 

住職: 光る原石を持ちながら、

硬い殻(我=エゴ)を

捨てようとしない状態を観ていると、

もったいないな、と思います。

だから、原石を磨くことを

促すようなことを

言いたくなるんですね。

相手のためを思えば思うほど……

 

ーー そうでしょうね。

 

住職: 今までは、

相手のためを思うあまり、

人には、原石を磨くことを

促すようなことを言ってきたんです。

 

ーー そうだったんですか。

 

 

住職: なるべくジョークみたいな形で

言ったりだけど、

けっこう涙ぐましい努力をしてきました。

人が”仏性”という光る原石を現すことは、

自分の責任だと痛感していましたから。

 

ーー そうなんですね。

 

住職: その人の人生のため、

未来のため、来世のためにも、

そうしていたんです。

 

ーー …….。

 

住職: さらには、その人のことを

気にかけて下さっている、

先祖の方々や守護の神さま菩薩さま方の

ためにも、そうしてきました。

 

ーー …….。

 

住職: 何よりも、如来さまが、

どれほどその人のことを

想われているかを思えば、

そうせざるを得ませんでした。

 

ーー そこまで思われ、

また考えられて来られたんですね。

 

住職: 人と関わることの意味は

重く受けとめてきました。

1人を道に受け入れるということは、

その人の人生が来世も含めて

幸福になることを、

その人の先祖や守護の方々に対して、

責任を引き受けることだと思って

やってきたんです。

 

ーー …….。

 

住職: 人が”仏性”という光る原石を

現していくようになることは、

自分の責任だと痛感していたのは、

そのためです。

 

ーー そうだったんですね……

 

住職: 本当に長い間、

そうしてきたんです。

しかし、その結果、

かえって反発されたり、

悪く取られたりしてきたことが

多かったので、もうこの役割は

卒業しなければ、と思っています。

 

ーー 人によっては、

そこまでの住職の想いは理解できず、

善意が悪く取られることもあったん

でしょうか。

それはお辛かったことでしょうね。

 

住職: 誰だって、我(エゴ)に

直面することは嫌なことでしょうから……。

 

ーー …….。

 

住職: 相手の先祖、守護神、

また如来様の想いを感じ、

それに対する責任を胸に、

その人の中から、

光る原石が現れることを

悲痛な想いで願いながらも、

相手から糾弾され、背を向けられる。

この20年間、そんな十字架に

ずっと架かったまま生きてきました。

 

ーー ……

それを聞いて

言葉もありませんが、

それで、今までのやり方は

やめようと思われているんですね。

 

住職: 人に内在する、

素晴らしい可能性である仏性、

光る原石を観つづけることは、

人間として当たり前のことです。

これをやめることはあり得ません。

しかし、「相手が原石を磨くことを

”自分の責任とする”」という僕の修行は、

終了したと思っています。

というのは、如来さまに

「たとえ人に理解されなくても、

お前は、もうこれまで十分に誠心誠意、

人に内在する光のために尽くしてきた。」

と言われているような気がするからです。

 

ーー それが、『卒業』という意味なんですね。

 

住職: その時期が来たことに気づいた

原因はいくつかあると思います。

誰にでも悟りの体感が拓かれていく

「希望の火声明のメソッド」が

完成したこともその1つだと思います。

その他、「希望の火声明」の本が1冊分、

脱稿したことも、無意識的な

きっかけかも知れません。

 

ーー 「希望の火声明」の本を

読むのが楽しみです。

 

住職: でも一番、大きな気づきは、

ブッダガヤの国際サンガフォーラムで

得られたと思います。

 

ーー というのは?

 

住職: サンガフォーラムでは、

一般の僧侶から、高僧とされるような

地位の高い人々まで、

色々な人と話しました。

 

ーー はい。

 

住職: 例によって僕は、

どんな相手に対しても、

その光る原石を観ながら、

遊心と讃嘆の想いで接していました。

 

ーー 同行した山往さんのレポートにも、

そう書いてありましたね。

 

世界の僧侶2000人が集まった国際サンガフォーラムに!

 

住職: フォーラムの会場にいたのは、

基本的には皆、仏教僧侶です。

同じ釈尊の弟子です。

しかし、誰であろうと、

その人の光る原石と同時に、

硬い殻(我=エゴ)のギャップは

観えます。

 

ーー ああ、そうなんですね。

 

住職: しかし、

たとえそれらが観えたとしても、

彼らがそれを磨く=硬い殻(我=エゴ)を

取り除くことを僕の責任にするなんて、

とてもできない相談です。

 

ーー たしかに、、そうですよね。

 

住職: ひるがえってみたら、

それは、誰に対してもそうすべきなんだ、

と気づいたんです。 

そのとき僕は、

「これからは、極力、人を同一平等に

観るべき所に来ているんだ」と思いました。

 

ーー う〜ん、

お話しを伺っていると、ある意味、

人類を皆、同じような視点から観るという

感じでしょうか? 

 

住職: というのは、

フォーラムの根底には、

「これから仏教徒は、仏教僧侶はもちろん、

在家の人も含めて、

同じ1つのサンガという意識を持とう」

というメッセージが、流れていたんです。

「同じ仏弟子として集まったサンガ」

という世界観の構築が、

フォーラム開催の目的の1つだと

感じました。

 

ーー そうだったんですね。

 

住職: 「希望の火」の目的は、

利他による人類の融合です。

そしてその前提として、

宗教の融合が必要です。

その大前提として、何よりも

仏教徒の融合がなくては

なりません。

 

ーー そうですよね。

 

住職: だから、

「仏教徒は1つのサンガ」という、

フォーラムの暗黙のスローガンには、

僕も大いに賛成でした。

 

ーー はい!

 

住職: その地点に立ったとき、

これから2つの方向が見えたんです。

その1つが、どんな宗教宗派の人でも

共に修行できる、バーチャルな

「希望の火声明」のオンライン道場です。

 

ーー なるほど、素晴らしいですね。

 

住職: それが具体的に

どのような形になるかはさておき、

まずは、できるところから始めようと、

ZOOMで誰でも参加できるように

したいと思い、有志の方に

始めてもらいました。

 

ーー ZOOMで? すごいですね!

*参加希望の方は、sanno.bamba@taosangha.com 山往上人まで。

 

住職: それからオンラインの

ワークショップや教室ですね。

まず「できるところからやろう」と、

最初の1ページを書きました。

 

ーー 世界中の人々が、『希望の火』の

教えを学ぶことができるんですね! 

フォーラムに同行した晃命(あみ)さんも

山往(さんの)さんも、

「今まで自分たちが当たり前のように

学んでいた教えが、間違いなく

世界最先端の内容だったと思い知った」

とフォーラムのレポートで

書かれていましたね。

 

住職: ブッダガヤの

国際サンガフォーラムで、

今までの自分の生き方も含めて、

『希望の火』でやってきたことを発表し、

大きな手応えを感じました。

 

ーー 世界最先端の教えが

受け入れられた、ということですね。

それは、素晴らしいことですね。

 

住職: せっかく身近にいながら、

これまで去って行った人々も

色々いたけれど、

世界には、『希望の火』の教えが

実現しようとしていることを

理解してくれる人たちは必ずいる、

という確信を抱きました。

だから、これからは世界に向けて

発信していきたい、と願っています。

 

 

インタビュー後記

数十年もの長きにわたって住職が、

人に対して行ってきたことに、

私は何度も言葉を失ってしまいました。

果たして私自身は、どこまでその想いに

応えるように生きて来たのか、と。



特に住職の「人と関わることの意味は

重く受けとめてきました。

1人を道に受け入れるということは、

その人の人生が来世も含め

て幸福になることを、

その人の先祖や守護の方々に対して、

責任を引き受けることだと思って

やってきたんです。」

「何よりも、如来さまが、どれほど

その人のことを想われているかを思えば、

そうせざるを得ませんでした」という

お言葉に、、。

本当の意味で人を大切にするということ、、、。

如来さまは、どれほど、一人の人のことを

想っているのでしょうか、、、?

その責任を感じて行動する人を、

私は初めて知りました。

そして、真摯に誠心誠意実行してきたが故に、

昨年末の「国際サンガフォーラム」で、

大いなる確信を得た住職。

住職が、世界に向けて発信していくものは、

これからの人類にとって、

最重要になるのではないか、、?

という気がします。

いえ、これは、確信です。

 

それにしても、想わざるを得ません。

もし、住職の弟子を名乗るならば、

住職が身をもって示して来られた教えを、

自分自身は果たしてどこまで自らの

生き方として来たのだろうか、と。