住職に聞く!第十二回 旅に出るための奇策と修行に対する疑問 

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。

一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


第十二回

――前回のお話しは、当時、修行に通われていた念仏道場の指導者には、住職に後継者になることを期待している雰囲気があったこと。
しかしそれは、生涯放浪に生きようしている自分は応えることができない。
そのため、大変苦しまれたということでした。

住職:はい、そんな感じです。

――そしてその解決のために、“奇策に打って出た”ということでしたが、それは一体、何だったんですか?

住職:まず、なぜ自分みたいな者が、こんなに期待されるんだろう?
という分析から始めました。

――なるほど。

住職:そもそも自分は、社会からのはみ出し者として生きていたわけです。
だから、“こいつは、高校もやめちゃって、一体何やってんだか、、、”と、世の中で普通にやっている人たちには、顔をしかめられて当然だろうと思っていました。
にも関わらず、なぜそんな風に自分に期待したりするのか?
僕には全くわからなかったのです。

――今でこそ、不登校が10万人とか、引きこもりが100万人とか言われていますが、当時は、今ほど高校中退者も多くなかったでしょうね。

住職:終身雇用制もあって、一般には、「高学歴で、一流企業のサラリー
マンになることこそが、幸せ!」みたいな幻想が信じられていた時代。
そんな風に言えるかも知れません。息子が高校辞めるなんて(しかも、ご丁寧に二つも)、親にしてみたら、極端に言えば人生終わるようなものだったみたいです。

――世の中に背を向けて生きて来られたんですものね。

住職:唯一自分にポイントが付くとすれば、それは、どう考えても若さしかないと思いました。
当時、20歳前後でしたから。

――若い人はいなかったのですか?

住職:わずかにはいました。“親がやっているから”という、いわゆる二世もいたんです。
しかし、当時の僕のように、世間的な欲求には関心がなく、世の中のことはさておいても修行に打ち込むという感じの人は、いなかったのでしょうね。
そこの支部になっているお寺のお坊さんたちは別として、他の皆さんも普通に仕事しながら、それなりに信仰を持ってやっているという感じでした。

――なるほど。

住職:それに二世以外では、20歳前後の大学生ぐらいの年代の人は皆無だったのです。

――そうですか。

住職:それで、僕は考えたのです。“若い人がいないから、こんなに自分に期待するに違いない。ならば、これから若い人を15人集めることにしよう。”、と。

――どうしてまた、15人だったのですか?

住職:それぐらいの人数がいれば、自分の存在価値も薄くなるだろう、と。
そして、それにまぎれて二度と帰らない旅に出ることが可能になると、考えたのです。

――へぇー。面白いことを考えましたね。

住職:もともと、友人でスピリチュアルなことに興味のある人がいれば、
よく道場に連れて行ったりはしていたんです。
自分の想いとしては、“良い体験を他の人と分かち合いたい”というのはありましたから。
もっとも、多少連れて行ったところで、続く人はいなかったのですが。

――それで、15人集まったのですか?

住職:いやー、これは自分に課してしまった、とんでもなく大変なミッシ
ョンでした。

――それはそうでしょうね。友だちや知り合いを中心に声をかけたのですか?
何が一番大変だったでしょうか?

住職:友だちや知り合いに声をかけると言っても、まず、人ひとりを道場に連れてくるということだけでも大変なことでした。
そこに至るまでには、ひたすら、その人の話に傾聴したりと、いろいろお世話することが必要になって来ます。

――ただ修行に来なさいと言ったところで、反発されるだけですものね。

住職:かと言って、実際に道場に来るまでに至るのは、ほんの僅かな人です。
しかし、誰が修行に来る可能性を持っている人かはわかりません。
だから、誰に対しても同じように接しなくてはなりません。
時には、入院している精神病院まで訪ねて行って、一生懸命お話を聞いたり、お子さんの世話をしたりなんかもしていました。

――はぁー、昔の遊行僧がされていたようなことを無意識にされていたんですかね。

住職:でも、人がいざ来てからが、また大変なんです。
道場にはいろんな人がいます。誰かを連れて行ったときに、
さりげない気配りをしてくれる人ばかりではありません。
中には、説教しまくったり、長々と演説垂れたりする人もいるわけですよ。

――ちょっと、困りますね、、。
そんなことがあったら、どうなりますか?

住職:もう、二度と来ないですね。
何ヶ月か、かかって、やっと来てくれた人が、道場にいる、やたら自分の話をしたがる人の演説一発でアウトです。
泣くに泣けませんでした。

――聞くも涙ですね。

住職:それに、その頃から、教義的なことにも疑問を感じるようになって来まして。

――というのは?

住職:わかり易くいえば、宇宙の大霊を人格的な存在として捉えること
に対する違和感です。

――なるほど。キリスト教では、神さまという人格神を立てるけれど、仏教は、そうではないですものね。

住職:一般の仏教においては、存在の実相は空です。すべては因縁に
よって成り立っているだけです。だ
から仏教には、キリスト教のような創造主としての神さまという概念はないのです。

――では、阿弥陀様というのは?

住職:いわゆる浄土教における阿弥陀仏は、すべての人を救うために
法蔵菩薩が成仏された結果として生まれた存在です。
だから、創造主ではありません。
仏教の哲学は、あくまでも「法身」(ほっしん)という、姿かたちのない空を根源としているのです。

――ああ、そうだったんですか?

住職:しかし弁栄上人の教学体系では、キリスト教的な神の概念と仏教の空の哲学が、全く矛盾せずに統合されるのです。

――すると、弁栄上人が光明主義で説かれた阿弥陀さまと、従来の浄土教の阿弥陀さまとでは、概念的としては異なる存在なのですか?

住職:はい、そうです。でも、これを詳述するとなると大変です。
まず、浄土教の本質をどう理解するかという問題があります。
例えば、少し専門的になりますが、宇宙根源の仏とその現れとしての存在(「本地垂迹」ほんぢすいじゃく)をどう解釈するか等です。

またこの話は、実は、世界にキリスト教が生まれたことの真の意義を、弁栄教学からどう読み解けるかという問題までも含みます。
だから、話があまりにも長くなるので、ここではお預かりしておこうと思いますが。

――わかりました。
それで、そこの道場の教学では、その辺の所はどうだったのですか?

住職:今にして思えば、統合されていなかったのです。
仏教の基本として、本来ならば空であるはずの法身を、人格神的な存在と捉えていたのです。
もっとも当時は、弁栄教学も知らないし、仏教の基本や哲学も知りません。
だから、言語化することはできませんでした。
しかし直感的に、そこに疑問や違和感を感じたのです。

――自分に対する期待を重荷に感じ、何とかそこから逃げ出すための方法を考えていた。
またその一方で、仏教の説く真理や修行についても、真剣に考えていらしたのですね。

住職:自分にしてみたら、道場の人間関係のしがらみと真理探究のための修行は、 まったく別の問題でした。

――なるほど。それで、先の疑問や違和感については、どうされたんですか?

―続く―