和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/
第三十九回
――前回は、マラリアの発作が起こって、絶望的な状態からパリ行きの
切符を買った、というところまでのお話をお聞きしました。
住職:はい、そうでしたね。
――「道半ばにしてインドで死ぬのは嫌だ、と。パリの路上で死ぬ方がましだ」と、、。聞いてきて私は、よく、そんな状態であるにもかかわらず行動できたな、思いましたよ。
住職:そうですか? 普通、そんなもんじゃないですか?
――そんなことないですよー!
ところで、「“もっと人々のために尽くしてから死にたい、と心底思いました。それは本当に思いました 。人々が癒されたり修行できるようなビレッジを創りたかった”と思いました」とおっしゃっていました。
住職:そうそう。
――もう自分は死ぬ、と思ったときに、いったい人は何を思うのでしょうか、、。
深いところにある想いや願いが浮上してくるのでしょうか?
住職:うーん、どうなんですかねぇ、、、。
――この話を聞いて、私は住職の狂おしいまでの情熱、を感じたんです。
このような情熱が、住職の行動の動機になっているのですね。
住職:狂おしいまでの情熱なんて言われても、正直、僕自身はピンと来ないのですが、、、、。
ただ、僕としては、「できれば、死ぬ時に、もっとこうすれば良かったな。」とか、「もっと本気でやっておけばなぁ」とかの後悔したくないな」というのはありますね。
――やはりその時の強烈な体験は、住職に大きな影響を与えたのでしょうね。
ところで、その後は住職は、一体どうなったのですか?
無事飛行機に乗って、パリに行ったんですか?
住職:それがねえ、、、。もうビックリの展開で。
――というのは?
住職:いよいよ明日は、飛行場だな~、と決死の覚悟を決めながらも、ウンウン唸りながら宿のベッドでぐったりしている僕の部屋を、ノックする人がいたんです。
――誰だったんですが?
住職:それが、ねえ、、、。つい1週間間前に、バナラシの久美子ハウスに泊っていた日本人。僕たちが、「 絵の人」と呼んでいた、渡辺さんと
いう人だったんです。
――えっ!? どうしてまた、、、?
住職:まったくの偶然。宿のオヤジが、別の日本人も泊ってるぞ。というので、どの部屋だ? と聞いたら、あの部屋だ、と教えてくれたそうです。
――へー、そうだった んですかぁ、、、。それで?
住職:僕がこれこれこうで、明日にはパリ行きの飛行機に乗るつもりだ、と言ったら、彼が、そんな無茶しないで、僕がお金を貸して上げるから、
と言ってくれて、、、。うぅ、実にありがたかったです。
――そうだったんだぁ、、、。不思議なこともあるもんですねぇ。
住職:はい。彼はインドを1年程回る予定で出てきたんですが、予定を変更して3ヶ月で帰ることにしていたのです。それで、お金を貸してもらえることになり、僕はパリの路上で死なずに、日本に帰ることができたというわけなんです。
――はあ、、、。なんか、すごいドラマですねー。
住職:はい。彼は、まさに命の恩人です。その後も、結婚した、というハガキ をもらうなど、日本でもやり取りしていました。でも数年後に、再び連絡を取ろうとしたんですが、引っ越し先がわからずに今に至っています。
-続く-