住職に聞く! アースキャラバン篇 (1)

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/

 

--先月まで、住職が発案したゲーム「チャトランガ」についてインタビューをしてきました。そのインタビューの中で、住職は、随所で平和についてお話しくださいました。

住職:ただ「平和」って「愛」、あるいは「神、仏」と同じで、安易に言葉にしてはいけないもののような氣がすんですけどね。

-- それはまた、どうしてですか?

住職:平和や愛、まあ健康なんかもそうなんですけど、これらって、失った時に実感する概念でしょう? 例えば、普段は健康なんか意識してないけど、病気になったときは健康についてよく考えるとか、、、。

--ええ。その通りです。

住職:また、愛にしても、「それって、なんか愛のない行為だなぁ、、、」という時はよくわかる気がするけど、もし誰かにいつも良くしてもらっていたら、それが当たり前になっちゃって、特に「愛のある行為だなぁ、、、」なんて思わないでしょう。
だから、愛がない状態はわかるけど、では何が愛か?と聞かれたらその概念の説明は難しい、、、。

--たしかにそうですね。説明されて納得したことがないような氣がします、、。

住職:平和もそれ自体で成立する概念ではないから、これと同じようなものではないか、と思うんですよね。

--そうですね。

住職: 白いチョークで書いた文字を認識するには黒板が必要です。これと同じように、平和という概念を実感として理解するには、争いという真逆のものを認識することが必要なんですね。
例えば、刑務所で服役している人に会いにいったとします。そして、罪を犯さざるを得なかった人の気持ちに何ら理解も共感もなく、ただとうとうと「善」について語ったとします。でもそれは、相当イタい行為ですよね。
人類が、戦争と向き合わずに平和について語るのもこれと同じで、何の意味もないと思うんです。

--なるほど。

住職:私たち人類は、武器や戦争のある世界に住んでいるんです。そして平和は、人がこの世の争いと向き合ったときに、はじめて認識できるものです。しかも、外なる世界の争いは、わが内なる世界の現れでもあります。またそのような、誰もが普遍的に持っている内なる争いや悪への認識を抜きにして語る平和は、ご立派な人が刑務所で語る「これからは良い人になりましょう」的な、単なるイタい行為に過ぎないと思います。

--たしかに、内なる争いや悪への認識なくして語る平和は、“平和のために闘う”というイタい矛盾を作りそうですね。

住職:だから、愛とか平和っていう言葉って(神や仏もそうだけど)、その真逆のものが、世界と自己の内に存在することを認識して向き合うことが前提だと思うのです。
また、それなくして語る愛と平和は、極めて安易で陳腐なものだと思うんですよ。

--前回までシリーズでお伺いしていたのは、戦争ゲーム「チャトランガ」によって、人が自己の内なる争いと向き合うことができる、というお話しでしたね。内なる争いの認識は、平和を語るためにも必要なことなんですね。

住職:先に述べた“平和のためにこの世の悪と闘う!”という姿勢は、内なる闘いへの直面できないことへの表れだったりすることがイタいんですよねー。

--ところで今年、7月から8月にかけて、住職が呼びかけ人となり、和田寺で運営しているNPOアースキャラバン(http://npouni.net/)が主催するイベント「アースキャラバン」を行うということですが、、、、どうしてこのようなイベントをしようと思われたのですか? 

住職:最初の発案は、ヨーロッパのアルフレッドというメンバーだったのです。彼はミュージシャンでもありタオ指圧のセラピストです。ウィーンに阿弥陀センターというタオサンガ和田寺の道場を運営しています。

--あ、そうですか。ウィーンの。

住職:そのアルフレッドが、2013年にタイのビーチで10日間に亘って行われた、タオサンガ世界大会の最終日に、「戦後70年目(2015年)に、タオサンガの音楽念仏で、ヨーロッパの第二次世界大戦の傷跡地を浄化する巡礼ツアーを行いたい」と言ったんです。

--はー!

住職: それを聞いて僕は、「中東はこれから平和にならなきゃいけないところだから、日本からヨーロッパを経て中東まで行くようにしたら? ー広島からエルサレムまでー、という副題をつけて、、、」と、つい言っちゃったんですよ。

--いきなりスケールが大きくなったのですね。

住職は、これまで何度かパレスチナを訪れていらっしゃいますが、(http://endo-ryokyu.com/blog/そのことがきっかけなのでしょうか?

住職:もちろん、パレスチナに行った体験がなければ、そんなことは言わなかったと思います。

--日本でも世界でも、いろんな人や団体が平和のためのイベントを行っていると思います。それらに参加するという形ではなく、自らが発起人となって主催するというのは、今回の「アースキャラバン」のスケールからして、そうとうな覚悟がいることだと思いますが、、?

住職:まあとにかく、僕は何でも安易にものを考えるクセがあるんですよね。
それで、何か思いついたら、つい簡単にできると思っちゃうんです。しかも、口にしてしまう上、「一度口にしたことを実行しないのは、生き恥をさらすようなものだ」という強い想いがあるんです。
それでこの世界キャラバンも、「まあ言っちゃったしなぁ。やるしかないか!」ということになったんですよ。

--その強い想いが、人やものごとを動かしていくのですね。

住職:いや、動かすのは自分自身です。いつもですが、最初の時点では、他の人に何かをやってもらおうという期待はまったくないんです。自分が1人で何をするか?しか考えていないんです。

--あっ、そうなんですね。

住職:それに、中東に多少コネクションがあって動ける人間は、自分しかいなかったし、、、。それで、昨年夏はパレスチナとイスラエルに行ったんです。ガザ空爆中のときだったんですが、、、。ある意味では、自分で自分を追い込んでいるのかも知れませんねぇー。ははは。

--だからこそみんな動くんですね。いや~なんだか大事なことを教わった気がします!“人を動かそうとする”のではなく、自分が動くことしか考えていない、、。
ところで、今回は、広島原爆の残り火を、日本では広島から出発し東京まで自転車で運び、その後ヨーロッパを巡ってエルサレムがゴール、ということですね。

住職:いやー、これも同じような流れなんです。パレスチナでは、毎年4日間の大きなフェスティバルを開催しているパレスチナの団体とつながることができたんです。
それで僕としては、世界巡礼の最終地のベツレヘムとエルサレムを、広島と長崎の原爆投下の日にやりたかったんですよ。

--はい、、、。

住職:それでパレスチナの団体の代表であるサミーに、“開催開始日と終了日を、8月6日と8月9日にして欲しい。そうしたら、「平和の火」という広島原爆の残り火を必ず持っていくから”と約束したんですよ。

--その時、その原爆の残り火を持っていくような当てはあったんですか?

住職:いえ、そういうものがある、というのは知っていましたが、その時点では、どこにあるかも、わかりませんでした。

--ええっ!そうなんですか?

住職:そのとき僕のあったのは、「約束したからには、死に物狂いで動いて何が何でも持って行けるようにしよう」という悲壮な覚悟だけですよ。

--へぇー! それでどうなったんですか?

 

広島の原爆の火を運ぶイギリス人のスーさん

広島の原爆の火を運ぶイギリス人のスーさん

 

アースキャラバンテーマソング

― 続く ―