あなたがただ一人歩む道 般若心経 第7回
法話ライブ at 東京道場 2014年4月19日
般若心経 第7回
法話:遠藤喨及
動画URL
https://www.youtube.com/watch?v=97DJWDRJTpA
思ったことが全部叶っていく世界があるはずだ!
不思議なもので、般若心経は我々の今の時代、
未来を映し出している非常に暗示的な経典です。
(経文)無無明、無無明尽
色空(しき・くう)についての補足的な説明が続きますが、
普通の解説書を読むと、「空とは、何もないことです」みたいな話になっています。
でも本当は、これ(色空)って、宇宙大霊の実体について説いた言葉です。
宇宙大霊から相対の人間界が生まれて来ています。
人間界の根源である宇宙大霊が「空」なのです。
話がややこしいのは、相対の人間界が生まれてくるという側面と、
もう一つは我々が人間の意識を持っているから人間の世界を認識している、という側面が有ります。
我々に人間を超える意識が開けてきたら、別の世界も見ることができるようになってきます。
そういった人たちが、法然上人、弁栄上人、イエス・キリストと言った人たちです。
それが開けてこないと、あくまでも相対の世界の中だけで生きていくということになります。
相対の世界にしても、本来は良い世界なんですけどね。
かなり人間界自体を貶めるという力が働いています。
その事に気づいて、それを打ち破って光を現す時代なんです。
もうその時代に来はじめていることを般若心経は暗示しています。
無無明についてですが、無明と言うのは簡単に言ったら明るさ、知恵がないということです。
宇宙大霊は絶対的な世界、こちらが本来の世界です。
絶対というのは対立するものが無いという世界です。
我々の意識の中であれとかこれとか分けて認識している。ここで対立が発生している。
私達は相対の中で縛られて生きてますよね。私とあなたがいて、というように。
でもこれを超えた世界があります。
なかなか想像しがたいですけれど。
生まれてから触覚でもって自我が発達してきますから、
そうすると相対の世界にとらわれてしまいます。
どうしてもそういう心の傾向を持つんですね。
そうすると過去、現在、未来が分かれていきます。
本来はそれを超えた世界、もっと自由に未来を作っていける世界なのです。
相対の世界にとらわれていると、意識は過去しか見られないので、
過去を前提にしか今を見られません。
過去を前提をしている場合には、
「前はこうだったからこうなる」という未来の予想になってしまうんです。
そうすると明るいイメージが持てないんです
タオ指圧のクラスでもお話しましたけど、どっちが幻想か分からないから
未来が幻想、過去が現実だと思ってしまいますね。
未来は気の体の中にイメージを創る、その結果が現れてくるものですから
今何をイメージするか、どのように持続するかによって未来は作られてきます。
本当はそちらのほうが現実なんですよ。
過去というのは思っているだけなんです。
実は過去もイメージによって全然違って見えますからね。
これから何を経験するかによっても違って見えます。
これから経験することが良くなかったら過去も悪かったままですけど、
これから経験することがよくなったら、「あれがあったからいいことがあった」と
むしろ過去に対していいイメージを持つことになります。
無無明とはどういう意味でしょうか。
前々回お話したように、大霊から人間界という相対の世界が生まれる過程において
どうしてもカスのようなものが出ます。
カスみたいなものがカルマであったり魔であったりします。
元々は大霊で絶対自由なんです
本来の所に立ったら無明なんか無いんですよ、ということです。
思ったことが全部叶っていく世界、ここが本当なんです。
気のからだにどんなイメージを入れるか、これが人生のシナリオですからね。
イメージを自由に描いていくという権利が人間には与えられているんです。
ところが、「そんなことないでしょう」という沢山の刷り込みを受けて育ってしまうんです。
親が刷り込みを受けて来たからです。
我々はこれを変えていかなければならない。
そうじゃない、もっと人間は自由だし、いくらでも豊かになれる、
不安にがんじがらめになって、モノやお金にしがみつく必要はない、
もっと楽しく豊かなものが創れるんだよ、ということです。
衣食に使われているお金は0.92%だったかな、それくらいのお金しか使われていない
本当はもっといくらでもあるんです。
本来だったら大霊の世界なんです。
カスを通って人間界が生まれたのでカルマを生じているし、魔も人間界に現れます。
何のためかと言ったらカルマに打ち克って光を現すためです。
これが色即是空、空即是色という意味なんです。
カルマに打ち克って、如来様の光明を一切に現していく。
自分の人生にも現していく
前に話したように成功者の物語には大変なことがあったということが絶対出てきます。
そうじゃない人はいないですね。
そういうふうに如来様にアレンジされています
「偏差値40だった私が○○大学に受かりました」みたいなのが最近多いでしょう。
僕も高校中退したのを売りにしようかな(笑)
大変なものに打ち克つこと自体が成功なんですよ
与えられた成功なんて価値がないし、嬉しくもないでしょう。
チャリティックスだって簡単に勝ったら面白くも何とも無いでしょ。
負けそうだとか焦りながらやって勝つのが嬉しいんじゃないですか。
本来は大霊ですから何も無いんですけど、そこから光を現すために困難に打ち克つ。
その度ごとに光を増していく、そこに価値があるんです
如来様の光を現す、というのは精神的だけなことだけじゃないです。
皆さんがあらゆる面で幸福になることによって、
如来様の光が実在するということを人に示して見本になっていただきたい、と心から思っています
霊的な世界に行く人は物質的、人間的な幸福をあきらめて
修道に入りますとか、そういうイメージがあるでしょ。
これは物質と霊を分ける宗教の刷り込みですから。
だってモノの根底にあるのが大霊でしょう?
お浄土があんなに素晴らしい世界ですから、人間界も素晴らしい世界にできるはずでしょう。
どうして物質と霊を分けて、これを諦めなければならないのでしょうか。あれは脅しですよ。
そんな所に引っかかっちゃダメですね。
ありとあらゆるガセネタが流布していますから。
これがガセ、これが本物だと自分の心と如来様との関わりのなかで嗅ぎ分けなければならなりません。
新たな世界を創る人になる
(経文)無老死、亦無老死尽
これは生老病死を代表しています。
生きて、老いて、病気になって、死ぬという苦しみの代表として老いと死を挙げています。
でも本来は大霊ですから老いも死もないんです。
世の中に負けちゃダメですよ。
世の中に負けると何歳だから…というふうにレッテルを貼っていこうとします。
本当は、何歳だからとかは関係無いですから。
そういうのは人じゃなくて自分が決めることでしょう
だいたい洗脳とはどこから来るかというと、基本的には2つあります。
みんながそう言っているから、というのが一つ
偉い人がそう言っているから、というのが一つ
御用学者が「原発は安全です」とか言うわけでしょう。
洗脳のセミナーというのはちゃんとサクラを紛れ込ませておいて
みんながそうだから、という集団心理を利用するのです。
みんなが言っていようが関係無いですね。
未来を創る人は最初は必ず一人なんです。
それまで誰も言っていないことを「本当はこうなんだ」と
言い始めるんですから。
馬鹿にされたり否定されたりするわけです。
その人に信念があれば、それが広まって新しい常識になっていきます。
法然聖人が専修念仏を説いた時はどれほど否定されたでしょうか。
新たな世界を創る人は必ずそうなんです。
我々は新しい時代を創っていく一人になるべきでしょう?
自分自身に責任をもって未来を創っていく。
みんながそう言っているから、というのはもう止めるべきですね。
誰が言っていようと。
喨及さんが言ってるから、と言うのも無しにして下さい
自分と如来様との関係だけですから
その関係において真実は何かというところに生きていかないと
間違えますよね
老死も無い本来の所に立っていくのです。
物質の世界、この世を拠り所にしている限りはこちらに立てません。
肉体もモノもは日々劣化していく、それが物質の世界でしょう?
みんなそれを知っているから内心不安、というか絶望しているわけじゃないですか。
それでせめて守りに入るわけです。
この世のものに頼っている限り世間がついてきますから自由がないんですね。
何があるかというと守ること。ささやかな幸せを守るという風になります。
それでも物質や肉体は日々劣化していきます。
幸福は如来様との関係によってクリエイトするものです
本来100%大霊である所に立って、幸福を創る人で在る。
大勢の中の一人じゃなく、自分が大霊の世界を広める、分かち合う、そこに立つんですね
みんながやってるからやるというのはカッコ悪いじゃない?
カッコよくありたいですよね。
人がどう見るかじゃなくて、自分で自分のことを思った時に
オレよくやったな、と思えるのは誰かをあてにしたり付いて行った時じゃなく
誰にも認められなくてもやりぬいて、それが人に伝わっていった時じゃないですか?
あとで自分の人生を振り返った時に自分が納得できるか。
だから100%やり切らないと。
(経文)無苦集滅道
苦集滅道とは原始仏教の基本のところ、四諦といいます。
苦しみと苦しみの原因(集)、苦しみを滅する涅槃(滅)、それから道。
これは般若心経では逆転して考えればいいですからね。
大霊から人間界に生まれてきたからこそ苦しみに出会うし、
他の人の苦しみを理解するためにそういった体験をするし
それに打ち克って光を現すために人間界に生まれているし
一人ひとり使命を持って生まれているので光を現していきましょう、と
今やまさにそういう所に立っているわけですね
(経文)無智亦無得
よく解説にあるような「何も知らないとか何も得ない」というわけではありません。
如来様の智慧をいただいて、無限の浄土を我が心として
いくらでも出てくる、という無限の世界につながるということ。
それが人生の一番の一大事ですね。
無限の世界とつながるのか、ささやかな幸せを守っていくのか。
どうせ生まれたなら困難に打ち克って、大霊の世界に立って一切に光を現して
そういう世界があるということを我が一人の道として現して行く
今Facebookで公開しはじめている「タオの詩」の副題に出てくる
「あなたがただ一人歩む道」はそういう意味なんです
(終わり)