仏の世界に行くことができたら、永遠に仏であるのでしょうか?

住職の人生相談コーナー

・・・なんでも質問箱に寄せられた「人生相談」
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遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧・気心道などの各教室、海外援助を行っている。遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。
http://endo-ryokyu.com/blog/


◎仏教について詳しくないので、教えていただきたいことがございます。
10月15日に高野山に行ってみました。奥の院や檀上伽藍を見た後に遍照院という別院を訪れました。護摩壇のある本堂では大日如来の像が、ご本尊としてあり、不動明王の像がございました。更に奥のお堂に入ると、阿弥陀如来の像が本尊としてあり、少し驚きました。余り固定観念で考えてはいけないのかな?と思いつつ何故かしら?と思っております。ご教授のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

「高野山は真言宗の本山だから、本尊は大日如来である。であるにも関わらず、
阿弥陀如来を本尊としていた。」そのことに驚かれたのですね。

あまり知られてはいませんが、実は高野山の全土が、念仏道場になっていた時期があるのです。(念仏の場合、本尊は阿弥陀如来)

それは、大日如来と阿弥陀如来は、同体異名(同じ仏で、名前が異なるだけ)だ、という「新儀真言宗」の思想によるものでした。

この教えを説いたのは、平安時代後期の覚鑁上人(かくばん)です。
優秀かつ純粋だった覚鑁は、当時の高野山の状態を嘆きます。覚鑁上人の目に映ったのは、佛教を飯の種にしか考えない下層の僧侶と、権力欲に取り憑かれていた 上僧たちでした。そこで、高野山を建て直そうとしました。

覚鑁は精力的に活動し、念仏によって大日如来(阿弥陀如来)と一体になれる、と念仏三昧を高野山で広めました。やがて、先に述べたように高野山全体が念仏道場になっていったのです。覚鑁上人は、真言宗で「中興の祖」(宗門を再び盛り返した人)として高く 評価されています。

 

 

 

 

 

 

 


◎法然上人は、「成仏は難しといえども往生は得易し」と言われたそうですが、成仏と往生の違いについて教えていただけますか?

ニュアンスから言えば、自分で自分を天に引っぱり上げようとするのが「成仏」を目指すことです。これは「難し」(がたし)ですよね。

往生は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、仏様に上から引っぱり上げてもらうものです。こちらの方が「得易し」(えやすし)ですね。

また、古典的な浄土教から言えば、“往生してから成仏する”のであって、“成仏することで往生するわけではありません”。

法然上人は、当時の人がわかりやすいように説明されました。また人によって異なる説明もされていました。

それは、「対機説法」と言って、相手の魂の器に合わせて法を説かれていたからです。

さて本質から言ったらどうでしょう?
本質は成仏も往生も同じです。

自力(修行)がなければ他力(仏様の力)がないように、他力(仏様の力)がなければ自力(修行の成就)もないのです。


◎チャトランガの住職が書かれた「人工知能に生きる」を読んだものです。
とてもおもしろかったです。
そこで、世界を牛耳る1%の富裕層の人たちがこのゲームをしたら、戦争をしないような心になったりしますか?オンラインでもするとのことですが、その1%の人たちに潰されたりしないかとても心配です。

おお!ありがとうございます! ^ ^)/
1%の彼らは、人類の霊的向上を促すため、ネガティブに働く作用として動いています。(ネガティブな霊的存在が受肉した存在です)

チャトランガをやるのは人間であって、ユーモアを解さない彼らはチャトランガをやりません。

人類の四分の一程度の人間が目覚めたら、大転換が起こって、ネガティブな霊的存在である彼らは不要になるか、力を失うことでしょう。


◎古来、日本人は、今のような絶対的人間主義ではなく「和をもって貴しとなす」、「生きとし生けるものに感謝する」そんな精神性を持っていて、それは現在も文化だけでなく、日常のごくありふれた習慣や言葉を通しても伝えられてきていると思います。現在は絶対主義の情報操作による洗脳で、競争、略奪が普通の事のようになり、そのため環境破壊と宗教間の対立が激しくなり大きな問題となっています。

絶対主義の現在がいかに危険かを世界に公言して、日本人としての誇りを持って、その精神、感性をもっと積極的に世界に発信しながら、世界の縮図と
言われる日本だからこそ、何か世界(地球)のために出来る、するべき、日本人としての役割があるのでは?と思っているのですが、りょうきゅうさんはどのように考えられていますか?

まず、自分に出来る事として、江戸時代の循環社会をお手本に自然農法に取り組んでいますが、自分の中でも考えがまとまらなくて、是非、りょうきゅう
さんのお考えを伺ってみたくて質問しました!!
よろしくお願いします。

ご質問の方は、もしかしたら、「日本が世界の縮図で日本語が世界の共通語だった」とかを書いている「竹内文書」などを読まれたのでしょうか? (僕はあいにく読んでいませんが)

それはともかくとして、、、江戸時代を讃えるなら、ぜひ循環社会だけでなく、あんまり働かなくても何とかなるという、「遊びの時代」として、世界にアピールして欲しいですね。

遊びが盛んである社会は、子どもが大事にされるし、自然環境にも良いですから。(だからみんなでチャトランガをやろう!) 自然環境に悪いのはビジネス第一主義です。

ご質問にあった、“今のような絶対的人間主義ではなく「和をもって貴しとなす」、「生きとし生けるものに感謝する」そんな精神性を持って”いたのは、果たして日本人だけでしょうか?

僕には、アイヌ人(ネイティブ日本人)、インディアン(ネイティブ・アメリカ人)などもそうではないかと思います。ネイティブ日本人も、ネイティ
ブアメリカ人もアジア人だから、アジアンはそうなのか? ということかも知れません。でも、我らがご先祖である*アフリカの精神文化も素晴らしいものがあると思います。

*人類の起源がアフリカです。

人類は、貨幣経済が発達する前は、必ず多めに与えるというのが習慣だったそうです。だから僕は、人間の本質とは、そもそも「和をもって貴しとなす」ではないか、と信じているんです。

だからあなたも、よろしければ、一地球人として、一人間として、「人間の本質」という観点から、地球のために働いて頂けないでしょうか?

すいません。日本人というアイデンティティーが希薄な僕は、「日本人として」というのに今ひとつ乗れなくて、、、。


◎私の母は、兄の生まれながらにして片足が短い病気がきっかけで(二歳で完治)、新興宗教に入り、熱心な幹部活動家です。拠って私も生まれながらに入信。兄は一五年前にやめ、五年前迄は私も活動家でしたが誤りに気付きやめました。三十代最後の歳でした。

その宗教をやめると地獄の苦しみを受けると信じている母は、死んでも死にきれないと、私達兄妹が再び信仰に戻るよう必死に祈っております。

それも、毎日何時間も災いが起きて戻ってくるように祈っているのです。(母いわく、私の子供に出るそうです。)母は、自分の病気を、治療も受けず祈りと活動で治す強靭な人です。母の勧めで入信した人は百人はゆうに越えるほどです。

そんな強い祈りをされると宗教の善悪に関係なく、祈りが通じ、いろんな災いが起きるのではないかと不安に思うのです。(兄は二年前リストラにあい、今は何もせず廃人のようになっています。)母の祈りが魔の神通力のように叶う事はあるのでしょうか?

氣としては、影響を受けてしまうことがあるかも知れませんねー。困りましたねー。

その宗教に戻ったふりをして、その祈り(呪い)をストップするか?
お母さんと完全に縁を切るか? (お母さんがあなたのことを忘れるぐらい)
あるいは、それを跳ね返すだけの霊的な力をあなた自身がつけるか?
いずれかでしょうか? それにしても、その大変さ、、、お察しします。
何としてでも、お子さんを守って上げて下さい。