これは読んで おいたらいいんじゃないかと思われる本を 、教えていただけませんか?

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遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧・気心道などの各教室、海外援助を行っている。遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 
http://endo-ryokyu.com/blog/


◎りょうきゅうさんが、人生に生き難さを感じている人に向けてこれは読んでおいたらいいんじゃないかと思われる本を 何冊か、教えていただけませんか?

本なんて出逢いですから、人様にお勧めなんてとてもできないですが、自分がどんなものを読んでいたかを書いてみます。

15〜16歳からは徹底的に生き難かった自分は、その頃、太宰治、坂口安吾などの自己破滅的な文学ばかり読んでいました。
文章で人の心を掴む天才である太宰治などは、その本質がユーモア小説だったとわかってからは、さらに面白く読めたけど。
坂口安吾は、「いづこへ」という自分の青春時代を書いたものが面白かったですね。
書いた安吾本人は大変だったろうけど、僕としては自分みたいな、あるいは自分以上に人生が大変な人が書いた人のものを読むことで救いを得ていたようです。
カフカの救いのない絶望感もまた、自分の精神状況とよく似ていて(夢がカフカの小説みたいだった)、、、まあそんなのしか読まなかったなあ。

中学生で、まだ人生に多少の希望を持てていたころは、武者小路実篤なんかの「真理先生」なんかを読んで感激していたんです。
けれども、その後は、もう坂道を超スピードでころがるように、人生が絶望的になっていきましたからね、、、。

19歳で念仏に出会って、精神的な救いをある程度得てからは、宗教の本、臨床心理の本、あと戦記ものだけ読んでいました。
ただし戦記ものは、日本軍かドイツ軍のみです。これは多分、滅びとか敗北の美学みたいなものを、無意識に投影していたんだと思います。
敗北する側の戦記物って、人生と闘って負けていく、純文学的な象徴とも、無意識レベルでは受け取れるんですよね。
まあ、いいや、、、。

ところで、宗教の本で最初に読んだ仏教っぽいものは、まだ高校を中退する前に読んだと思うのですが、「生きるのがヘタな人のために」(紀野一義著)でした。
キリスト教っぽいものは、「死海のほとり」(遠藤周作)かなあ。
聖書は当時読んでも、わけがわからなくて、とても読んだとは言えないし。
その後は、新興宗教ものを随分読みました。特に、霊界についていろいろ書いてあるのを好んで読んでいましたね。
それは、霊界について読んだときは、生き難い思いが一瞬でも、救われたような気持になったからだと思います。

多分、僕にとって「生き難さ」というのは何かというと、親や学校(あるいは社会全体の風潮として)に、物質的なものを追求する人生を強要されていることだったのではないかと思います。
(「良い学校を出て、良い会社に入り、良い給料をもらうような人生を送りなさい」と強迫的に言われているような気がしていました)
霊の世界、というのはそんなのは関係ないですから、そこに救いを感じたのだと思いますね。

臨床心理は、専門家になることを考えていたぐらいで、いろいろと読みました。
河合隼雄さんのは、ほんとんど読んでいますが、まあ他にもいろいろと。

戦記物は、緒戦では連戦連勝を続け、その後は、作戦や一瞬の判断ミスなどで負けていくという悲劇。(日本軍もドイツ軍もそうです)
最強の軍艦や飛行機、また戦車等を有し、卓越した技量を持っていた日本軍やドイツ軍が敗北する、というこの栄光からの転落。
大成功のセレブからどん底のホームレスへ、というぐらいの劇的な物語です。
シェークスピア(とって言ってもシェークスピアのことはあまり知らないけど)を読むよりも自分にとっては臨場感がありました。

またこれは、当時の僕にとって、運命の不思議などを考える上での、恰好の材料でもあったんです。
ただ、こんなことに自己破滅的な投影をしていたことを考えると、なんかとっても不健康だったな〜とは思いますけどね。(笑)
まあだから、その不健康さを何とか健康的なエネルギーに昇華しようとして、チャトランガという戦争ゲームを創ったんです。

もしかしたらご質問者の方は、本を読むことで生き難さを解消することを考えていらっしゃるのかも知れません。
しかし僕が先ほどから何を言っているかというと、「生き難さ」というのは、如来様から与えられた人生の宿題であり、またプレゼントだということです。
だから、“本を読むことで生き難さを解消することを考える”よりも、本をきっかけにして、何らかの創造行為なり利他の行動なり、人生を展開して、生き難さをポジティブなものへと昇華転換すると良いのではないでしょうか。?

逆に言えば、創造行為なり利他の行動なり人生を展開する人は、例外なくみな「生き難さ」を感じていたということです。