住職に聞く! アースキャラバン篇 (7)

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/

 

--8月12日、エルサレムでアースキャラバン2015が幕を閉じました。7月5日広島から始まり、エルサレムまで無事広島の原爆の残り火を運ばれたのですね?
各地でイベントをしながらピースサイクルで日本を縦断し、日本を出て、ヨーロッパ、中東へと原爆の残り火とともに巡礼をした2015年のアースキャラバンですが、住職は現在どのようなことを感じられていますか?

※ http://www.earthcaravan.jp/peace_cycling.html

住職:振り返ってみて“今思うと、もっとこうすれば良かったなぁ、、、”
なんていう反省もありますが、同時に「いやー良くできたもんだ」という驚きもありますね。

--そうなんですか。

住職:「一体、どうしてこんなことができたんだろう?」というような感じの凄いことが、いくつも起こりました。それにしても、人と出会いと運に恵まれたありがたさを、今しみじみと思います。

--それは例えばどんなことですか?

住職:たくさんあるんですが、3つに絞ると、広島原爆の残り火をエルサレムまで運べたこと、アースキャラバンのテーマ曲を世界各地、18か国の音楽家にレコーディングしてもらったこと(映像も)、また最初はつながりのなかった広島と中東で、大きなイベントができたことですね。

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アースキャラバンのテーマソング 『SHARE!』

「SHARE!」動画

 

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広島でのイベント ピースキャンドル

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エルサレムまで運ばれた 「広島の火」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

--3つの内、最初に準備を始めたのはどれですか?

住職:中東ですね。1年前にアースキャラバン中東の実行委員を求めて、現地に足を踏み入れたんです。でもその時は、イベントの手がかりの片鱗すらなかったです。

--まずどうされたんですか?

住職:最初は、イスラエルとパレスチナ人が合同でやっているデモや、ガザ空爆に反対するイスラエル人のデモの中を、ただひたすらウロウロ、、、。

--一体、何をされていたんですか?

住職:紙1枚だけのアースキャラバンのチラシを持って、「アースキャラバンというイベントをやるんだけど、一緒にやらない?」と言って回ったんですよ。

--効果はあったんですか?

住職:これ、どういえばいいかな、、、。手がかりはできるんですよ。
“だったらこういう人がいるから、この人に会ったら良いよ”と紹介してくれたりとかね。また中には、“じゃあ私やるわ”、という人も出て来るんです。

--へぇー、すぐに出るものなんですね。

住職:それがそうではないんですよ。例えば紹介してくれた人に後日会いにいっても、それがすぐに成果に結びつくわけではないんです。また、「じゃあ、私やるわ」と言って、僕らを驚喜させた人が、後でいなくなってしまう、なんてことも普通に起こります。

--ガッカリされないですか?

住職:いえ、そこでガッカリするようなら、まだまだ人生に対する洞察が浅いんですね。

--へぇー!

住職:そもそも「ものごと実現させる」ことだけを考えていると、目先の結果はあまり気にならないものなんですね。

--そんなものなんですか?

住職:あの時はとにかく、「アースキャラバンを実現させる」ことだけで頭が一杯、、。実現するために何をしたら良いか? もうそれ以外のことは何も考えていなかったんです。そして思いついたら、すぐに実行。だから、出会いの中で可能性が見えなくなると、目先の出来事は、それこそ“あっ!”という間に過去になります。そして、すぐに次の手を考えていました。

--へぇー!

職住:将棋とかチャトランガで、手を読むでしょう。その時は、頭の中で“自分がこうしたら、相手はこう出て来る”とかを、シュミレーションしているわけですよね。

--はい。

住職:頭の中で、シュミレーションしてみて、うまくいかなかったら、その手はすぐに打ち消して、次の手を考えるでしょう?

--はい。

住職:それと同じような感じなんですね。

--そうなんですか? でも手を読むのは頭の中のシュミレーションで、結果はあくまでも重い現実ではないんですか?

住職:いえいえ、そこではその比重は完全に逆転しているんですよ。(笑)「どんな代償を払ってでも「実現させる」という心の中の決心、もしかしたら使命と言っていいかも知れないけど、そちらの方がクリアーだと、目先の現実よりも、未来への想い方がよほど重いし、はっきりした肌触りみたいなものがあるんです。

--へぇー。

住職:僕らはタオ指圧でその場で症状を取ったり、また氣心道の稽古では触れずに相手を倒したりしているでしょう。その時に働いている「気」みたいなものですね。感触がはっきりしている。

--ものごとが実現するときの「氣」というのは、強い念から生まれるものなんでしょうね。その時の願いは、“こうなったら良いなぁ、、、”、程度の軽いものではないんでしょうね。“どんな代償を払ってでも!”ということですから。

住職;本気かどうか、ですかね。

--“どんな代償を払ってでも”と思うときって、“もしかして、こんな代償を払うことになったら困るな、、、”とか考えたりはしないんですか?

住職:この時の思いは、仏教で言う「発心」(ほっしん)ということばに近いんですね。

--ああ、そうなんですか。

住職:現実的な願いの成就と、念仏修行の成就って、一見、異なるものと思えるでしょう。でも、心の働きはとしては、まったく同じなんですよ。

--へぇー!

住職:現実的な願いも、霊的な修行も両方成就していったら、充実した人生を送ることができます。だから、僕は皆さんに、早くそれに気づいて欲しいな、と思いますね。

--はい!

住職:現実的な願いの成就への「決意」。仏教的な意味においては「発心」と言います。これは通常、修行に入る決意をすることと解釈しますが、仏法僧に対する無条件の帰依と言っても良いです。
キリスト教でも「無条件の愛」という言葉を使いますよね。
両者の意味はちょっと違いますけど、“何があっても”とか、“どんな代償を払っても”という意味においては同じです。

--はい。

住職:で、ここからが面白いんですが、人に“あなたは、どんな代償を払ってでも、その希望や願いを成就させますか?”って、問いかけるでしょ。すると、何も考えずに、そのまま「はい」と答える人と、「でも、こんなことになったらどうするんですか?」と、仮定の話を持ち出し始める人とに分かれるんです。

--あっ、なんとなくわかります。

住職:“家族が路頭に迷ったらどうするんですか?” とかね。(笑)

--なるほど、、、。

住職:仮定の話を一生懸命考えて、それを理由にためらう人というのは、一見、常識的でまっとうなことを言っているように見えます。でも実際は、頭の中が逆転しているんですね。

--えっ、というと?

住職:願いを成就するには、行動という代償が必要です。でも、その行動を惜しむ気持ちがあると、代償を払わなくて良い理由を無意識に探すんです。それで、「もしこうなったら、、、」という仮定の話を、あたかもすぐに来る現実であるかのように、頭の中でイメージを作るんです。

--なるほど、それを言い訳にすれば、行動という代償を払わなくて済むわけですからね。

住職:代償を払いたくない自分Aがいて、でも一方では、行動した方が良いと思っている自分Bがいる。AがBを説得するために、「もし、〜なったら」という仮定の話をBに囁くのです。この場合の「もしこうなったら〜」というのは、危機管理とは全く別の話なんですけどね。

--本人的には、“もしこうなったら困る。だから行動できない”という風に、仮定を理由に、結論を出しているつもりなんですね。

住職:はい。

--でも実際の無意識内では、“行動しないで済まそう”という「はじめに結論ありき」だったんですね。

住職:そうそう(笑)

--うーん、それって、言わば自分が自分に騙されている、ということではなんですか? 

住職:まあそこが行動する人としない人の違いなんですね。

--自分のエゴにだまされちゃうわけですね。

住職:ものごとを成就する場合は、ああだこうだ考えずに行動するべきなんですよ。人間なんてどうせ何か考えているんですし、試行錯誤するのは当たり前のことですから。

--「まずどうするか考えてから、、、」なんていうのは、試行錯誤しないで済まそうということなんですね。

住職:何ごとも、成就までの仮定は、ひたすら試行錯誤の連続です。

--ああ、だから目先の結果がすぐに出なくても、がっかりしないんでしょうね。

住職:それに目先のことって、すぐに過去になるけど、未来への強い想いって、その想いを捨てない限り、決して過去にならないでしょう。まあだから、愚直に行動し続けることがすべてなんですよ。

--未来思考と行動が、願っている現実を創るんですね。

住職:でも、僕の無意識は、“自分の思考で現実を創る!”なんて思ってはいないんです。

--ああ、そうなんですか?

住職:だって、自分の思いで現実を創るなんて、傲慢不遜じゃないですか?天地創造の神さまじゃあるまいし。

--えー、じゃあどんな風に思われているんですか?

住職:“実現することを「決意」して、そのために必要だと思うことをひたすら行動していれば、必ず阿弥陀如来(宇宙の仏さま)が味方してくれる!” 僕の無意識は、なんとなくそれを信じてやっていると思いますね。

--そうなんですか!

住職:そんな想いで、人づてにいろんな手がかりを求めてひたすら歩いていくわけです。するとその中から、あるいは全く関係ない出会いから、ポッと実現のためのキーパーソンと出会うことになるんです。

--関係ないところからなんですか!?

住職:もちろん、人の縁をずーっと辿っていって出会う人もいます。でも、意外にも真のキーパーソンがまったく別のところから現れることもよくあるんですよ。それまで出会って来た人たちとは、全く縁のなかった 人こそが、本当のキーパーソンだったり。

--そうなんですか!

住職:はい。繰り返しになりますが、誠意をもってやっていく内に、まったく関係ないところから、別の出会いが生じるんですね。

--うーん、、、。

住職:それなら、最初からキーパーソンに会えたら良さそうなものだし、人から人へと会って来たそれまでの努力は無駄だったのかといえば、そうではないんですね。

--、、、?

住職:つまり、無条件の決意とそれまでの行動の積み重ね、それから目先の結果にガッカリしないことによって(笑)、阿弥陀如来(宇宙の仏さま)が味方になってくれ、願いの成就に関係する人と引き合わせてくれるように取り計らってくれる。今振り返ると、アースキャラバンを準備していたとき、僕は、無意識にそう信じて行動していたんですね。

- 続く -

 

インタビュー後記

人の願(動機)というのは、空中に書いた文字のようになんの痕跡も残さないのではない。
それこそが、ものごとを動かしていくおおもとなのではないか。
住職の話を聞いていると、いつもそのように感じます。

人の、行動の大もとには必ず「願」がある。
それがどんなにごく個人的なものであれ、その願は(本気であればあるほど)実現する。そう住職は伝えてくれています。

「願」は、自分のこころのもっとも繊細な場所にあり、人生とは、それを掘り起こして成就させていくためにある、私はそれが、住職が自らの生き様で示してくれているメッセージなんだ、と思いました。

「願」というのは、人の存在の根源で、きっとまばゆく輝いているのものなのでしょう。

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パレスチナの子どもたち