第三十五回 インドの中心で、“男女平等!”と叫びたい

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


第三十五回

――前回は、新婚旅行の住職とまゆさんがホリーの時期に、ブッダガヤからバラナシに脱出する話をうかがいました。

住職:いやー、まあ、、、ははは。

――恋人同士でインドを旅行するとお互いの本性を見ることになるので、別れるカップルが多いと聞いたことがありますが、住職はどう思われますか?

住職:まったくその通り!
お互いの本性を見るためかどうかはわかりませんが。
まあ単純に疲労も原因の1つだと思いますけどねぇ。

――旅行自体が過酷なため、自分のことで精一杯になり相手を思いやる余裕がなくなるのでしょうか? 

住職:そのためかはわかりません。が、たしかに、バックパッカーがインドを旅して別れるというのは、単なる都市伝説以上によく聞く話ですね。

――環境が大変になると、自国にいれば見なくて済むことも見なくてはならないのでしょうか。

住職:そりゃ何せ、水シャワーの数百円の安宿に泊まり、食事も数十円のカレーとか食べていれば、食あたりしたりもするし、、、。

――はい、、、。

住職:都市を歩けば、いたるところで物売り、乞食、リキシャ等、いろんな人たちに取り囲まれます。
かつ、スリとかにも気をつけないとならないんで、そのストレスたるや、相当なものがありますしねぇ。

――そうでしょうね。
ちょっと想像しただけでも、そのような状況でカップルで旅行するというのは大変だと思います。
何ヶ月にも及ぶような旅をするバックパッカーなら、なおさら、、。

住職:カップルでバックパッカーをする場合、男性に負担が多くかかるんですよね。
旅の安全の確保に責任を負っているから。

――前回の深夜のバラナシで宿を探しにリキシャに乗ったときの、「こいつが変な動きをした らオレが塞き止めるから、オマエは逃げろ」というような状況ですね。

住職:まさか男性が女性に、「僕を守ってね、ダーリン」と言うわけにもいかないしね、、、、。

――あはは。

住職:その上、男性は、移動の際のリキシャマンと、ケンカごしで行き先や値段の交渉までしなければなりません。

――なるほど、けっこうプなレッシャーですね、、。

住職:さらに、時には1時間以上もかかる切符の購入がありますしね。
駅では、わけがわからない状態でウロウロしまくって、焦りながら列車に乗り込んだり、食堂を見つけてきたり、、、。
さらに間違いなく目的の駅で降りなければなりません。

――楽じゃないですね。

住職:駅に降りたら降りたで、自分たちをワッ!と取り囲んだリキシャの中から良さそうな人を選んで交渉したりしなければならない。
その上、ちゃんと宿を見つけるところまでがあります。

――あら、大変、、、。

住職:そして、旅なんてドジ踏むことの連続ですよ。
そのドジも含めて責任が、すべて男性の肩にかかって来るんですから楽じゃないです。

――女性からしたら、頼りにしているところもありますしね。「あなた、男でしょ?」という、、。

住職:男性は、インドの中心で「男女平等!」と叫びたいのではないかと思いますね。

――ははは。

ところで、話を戻すと、バラナシには三週間ほど滞在されたということでしたが、“最初の1週間は、ガンジス川を眺めながらほぼ一日中、寝ていた”とおっしゃっていましたが、その後の旅はどう展開していったのですか?

住職:2週間目から起き出して、基本的には宿のみんなと遊んでましたね。
何せ直射で50度ぐらいの想像を絶する暑さです。
みんなウダウダしていました。
観光に出かけるなんて、せいぜい3日に一度程度だったような気がします。

――50度って、凄すぎます、、。外を精力的に歩く気分にはならないですよね、、。

住職:それでもバラナシには、至るところに小さな路地があって、たまに気力を振り絞ってウロウロ歩いて回ったりするんです。
また、ガンジス河を船の乗って、朝の沐浴風景とか火葬場とかを見るようなツアーに行ったりもしました。
それから、お釈迦さまが最初に説法されたサルナートにも行きましたね。

――住職は(第三十三回で)、「念仏しながら、極めてストイック(禁欲的)な旅をしていた」とおっしゃっていましたが、どのようなところでお念仏されたのですか?

住職:バラナシでは、宿の屋上に座ってガンジス河を見ながら念仏していました。

――ガンジス河を見ながら、、。

そういえば、ブッダガヤでマラリアに感染したらしい(第三十一回)、、 と、おっしゃっていましたが、その後大丈夫だったのですか?

住職:それはバラナシを出発してからのことです。

――ああ、そうだったんですか。

住職:まず僕は、バラナシで宿に落ち着いてしばらくすると、だんだん、自分に対して居心地が悪くなって来たんですよ。

――?

住職:宿は三食付きで安全。みんな仲良いいし、楽しく過ごしています。
でも、こんなところでウダウダしていていいんだろうか? 
自分は生死を乗り越えるような体験をするために、旅に出たのではないだろうか? 
気候がどうだろうと、どんなに疲れていようと、もうここらで出発して、先へと突き進むべきではないだろうか? と思い始めたのです。

――でも、外はまるで沸騰するような極暑ですよね。

住職:はい。毎晩、暑さで死者が何人も出ていました。
でもそんなんで怯む自分ではかっこワルいというのがありまして、、、。

――それは、、怯んでもいいのではないでしょうか?

住職:僕は、自分の身の安全を計るというのが、どうにも自分的にかっこ悪い気がしてダメなんですよ。

――そうなんですか、、、?

住職:自分の人生美学として、「保身」というのが、自分的に耐えられない所があるんですよね。

――えっ、美学の問題なんですか。

住職:そう、人生設計でも哲学でもなく、「美学」なんです。
まぬけだよね。

――ははは。いえ、かっこいいと思います!

住職:それで「もう次へ進もうと思っている」と言ったところ、まだ先は長い上、こんな気候の中を出発するのは無謀だと、サンチさんに反対されました。

――ええ。

住職:たしかに宿もみんなも、もう少し涼しくなってから移動するつもりのようでした。
みんなも、あと1、2週間で涼しくなるから、もう少しゆっくりして行ったら? みたいな感じでした。

――はい、、。

住職:でも、僕は今でもそうなんですが、「時間勝負」みたいなところで生きているところがありまして。

 

――「時間勝負」って?

住職:“今思ったタイミングでやらなければ、二度とチャンスはない。
だから外的状況はどうあれ、今ただちにやるんだ”ということですね。
言わば「機を捉える勝負」のことです。

――なるほど。

住職:それで、ある日決意して、僕の出発をとめるサンチさんを振り切り、宿の仲間に見送られながら、夕方のバラナシ駅に向かったのです。

――どこに向かったのですか?

住職:ひとまずデリーに向かいました。しかしバラナシを出発してその3日後のことでした。デリーで発病したのです。マラリアでした。

――ええっー!?

―続く―