和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/
タオサンガ篇(14)
-- 住職の求道や念佛弘通への情熱、、、インタビューの度に、“そこまで住職を
動かすものは一体なんなのか?”を知りたいと思ってきました。
住職: そうですか、、、。
-- 住職の話は、その時はなるほど~とわかったような気がするのに、少しあとには
何もわからない、という状態に戻ります。咀嚼力がないせいかとは思いますが、、。
住職: え〜、そうなんですか?
-- ええ、このインタビューでも何度も同じようなことを聞いてきましたが、、。
実際に阿弥陀如来との強烈な融合体験がないと、そんな情熱は持てないもの
なのか? 住職の個人的な素質なのか? などを考えるんです。
、、、というのも、自分が悟りたいだけだったら、、僧侶になろうとは思わないん
じゃないかと思うのですが。
住職: いや〜、情熱とかそんな大そうなものではなく、単なるなりゆきですよ、
成り行きね。
-- そんな、、、。成り行きだけでそこまでやるものなんですか?
住職: もともと僕は、面白ければそれに没頭してしまう性格なんだと思います。
そして、自分にとって良いものは、「ぜひ人も!」と強く思うんですよ。良い体験や
面白い体験ならば、ぜひ人にも味わって欲しいなぁ、と。
-- なるほど、、、。
住職: 分かち合い欲求が強いんですかね。自分だけが楽しむ、という発想が
あまりないんです。自分だけが楽しんでもつまらないなぁ、と。
-- 確かに、自分だけ、というのはうら寂しいですね。
住職: 子供の頃からずっと“自分はどこか人と違う”とか、“どこにも行き場がない
ような”、そんな孤独感の中で過ごしてきたからですかね。人と共感し合えるものを、
ずーっと求めて来たんですね。20歳の頃から心理療法を学んだり、自分でゲーム
発明して広めようとしてきたのも、その同一線上なんだと思います。
-- 仏教もまたその同一線上にあるものだったのですね? 住職はご自分の
理想の実現のためには、僧侶になることが必要だと感じられたのですか?
住職: 僧侶という肩書きがあれば法話して人に聞いてもらえるかも知れないな、と
そう思ったのが一番の理由ですね。念仏三昧を人と分かち合うためには、僧侶になる方が良い、とまあその時は思ったわけです。
それに、もし空き寺があれば、そこをいろいろな人が来れる道場にもできるな、なんて思っていました。
-- 浄土真宗の僧侶養成学校の通信教育を受けられていたのに、再び浄土宗で
僧侶修行をやり直すことにされ、三週間の強化合宿に参加されたところまで前回伺い
ましたが、その合宿はいかがでしたか?
住職: 一回目が夏の名古屋で、建中寺という大きなお寺が道場でしたね。
ちょうど湾岸戦争が終わった頃で、初めてタオ指圧の海外講習7日間をイスラエルで行った直後のことでした。
-- そうだったのですか。イスラエルで、、。
住職: 「<気と経絡>癒しの指圧法」(講談社+α新書)の最後のところに載っている、
イスラエルの新聞記事は、その時の模様だったんです。初めての海外講習。しかもそれがイスラエルで、いろいろと大変でした。
-- あの記事は、とても印象に残っています。そのころと時期的に重なって
いたのですね。 イスラエルで、、ほんとうに大変そうですね。
住職: 帰国の翌日に、名古屋の建中寺に入山と言うスケジュールだったんです。
-- ひゃー!
住職: 当然、時差ぼけで眠れない。なのに朝五時起床で。夜九時まで、まるで
休みがなかったですね。
-- 朝五時ですか。 十四時間休みなし!
住職: まる二日間、一睡もできず、仕方ないから夜中に本堂で念仏してました。
-- ひとりでですか?
住職: 面白かったのは、夜中にトイレに起きた誰かがそれを見たらしく、
翌日になって、“本堂で念仏の声が聞こえた。幽霊がいたぞ”なんてウワサ
していたんです(笑)。夜中に念仏やるなんていう酔狂者は、まずいなかった
ですからね。
-- あはは。ほかにいてもよさそうなものですが、、住職だけだったんですね。
住職: とにかく暑くて、一日中汗をだらだらかき続けていました。50人の合宿での
雑魚寝で、夜も暑いし、なんだかんだで睡眠は毎日4時間眠れたら良い方でした。
-- やはり、僧侶になるための修行は楽じゃないんですね。
住職: 2、3日したら“もういやだ”って、帰っちゃう人もいました。
-- 三週間ですものね。2、3日目だと先が長くて気が遠くなりそうですね。
住職: それから入山資格に、“高校卒業か同程度の学力”という条件がついていたん
です。でも僕は高校中退です。願書を出す時に、“果たして大丈夫なんだろうか?”と、
ちょっと心配していたんです。でも問題なくOKで、ホッとしました。
-- そういう条件があるんですね。どきどきしますね、、。
住職: 実際に現地に行ってみると、高校中退の寺の息子たちがゴロゴロ来ていたん
です。これには笑っちゃいました。
-- へー、それは意外ですね。寺を継いでいくため仕方なく来ていたのでしょうか?
住職: まあ、宗教的動機で来ていたのは、僕ともう1人か2人しかいませんでしたし、、、。
-- へ~、それも意外ですね。
住職: 9割は“家が寺だから”という理由でした。その他に、“婚約者が寺の娘だった
んで、、、”というケースもありました。
-- 9割、、。なんというか、それはきっと浄土宗だけがそうなのではないでしょうから、、
ちょっと驚きですね。
住職: 来ていた人たちの動機が、宗教的なものではなかったという現実に、僕も最初
はちょっと脱力しました(笑)。でも今は、“まあ、そんなもんかな”と思っているので、特にどうと
いうこともないですけど。その中から、真摯な人も出て来ることもあるでしょうし。
-- せめて半分くらいは宗教的動機だろう、と何となく思っていましたが、9割ですか、、。
でも、これから宗教的動機のほうが増えてくるかもしれませんね。ところで、その合宿の
内容はどんな感じなのですか?
住職: 大半の時間が、仏教大学の単位を取るための詰め込み授業的なことが多かった
ですね。ただ僕にとっては、すでにほんとど学んでいたことばかりだったので、、、。
-- 浄土真宗系の中央仏教学院の通信でも勉強されていましたしね。
住職: 弁栄上人の光明体系の本を7冊ぐらい持って行っていました。だから授業中は、
もっぱら、隠れてそればかり読んでいました。
-- お経を唱えるなどの時間もあったんですよね。
住職: それはもちろんです。毎日毎日お経を上げているわけです。で、これは
「気の幸福力」(法蔵館)にも書いたんですが、やがてお経が音楽的なメロディーとして
聴こえてきたんです。これは、冬に行われた最後の3週間合宿の時でしたけど。
-- へ~。
住職: 理性では、別段メロディーなんかついていないことは分かっているんです。
それで最初の内は、“これは気のせいだ、こんな風に聴こるのはおかしいんだ”と、
強く自分を戒めていました。
-- ええ。
住職: でも、ついにはそんな葛藤をおし流すほど、オーケストラのような圧倒的な
音楽になってしまいまして、、、。で、最後は諦め、お経がオーケストラのような音楽と
して聴こえている中で、3週間を終えたんです。
-- うわー聴いてみたい! どんな音楽なんでしょう、、? それにしても、お念仏が
そんなことになったら、圧倒されてしまいますね。今、和田寺では、音楽念仏という
メロディーのついたお経で合唱三昧で修行していますが、その時の体験が影響して
いるのでしょうか?
住職: もともと自分が唱えて来たのが、内から自然に湧いて来る音楽的な念仏だった
んです。でも、果たしてこれは他の人とシェアすべきものなのかどうか、ずいぶん悩みました。
-- なぜ、でしょうか?
住職: やはり伝統的なものではないですからね。もしこれが間違ったことだったら、
皆さんには大変なカルマを負わせてしまうことになりますし、、、。それで結局、十年間
ぐらい考えた末に始めたのです。
-- どのようにして決心されたのですか?
住職: 仮にこれが間違ったことだったら、そのカルマは誰にも負わせず、全部自分が
引き受けよう、と。たとえ自分は地獄に堕ちても、とまあそう覚悟したんです。
インタビュー後記
今回のインタビューで、住職が“お経が音楽的なメロディーとして聴こえて”きて、
“オーケストラのような圧倒的な音楽になってしまい”というのは、考えてみると、
もしわが身にそんなことが起きたら? 気が狂ってしまうのではないか、、そう感じ
ました。(インタビューではお気楽に「へ~」とか言ってしまっていますが、、)
伝統すら壊していくほどのものが内から湧き上がってくる。芸術家はそれを表現する
存在なのだと思いますが、よほどの信心、精神力がないかぎり、そういう現象に
耐えられるものではない、、。これはあくまで想像でしかないのですが、そんなふうに
思いました。
長い歳月を経て、現在の和田寺タオサンガのお念仏には美しいメロディがついています。
住職が「伝統」という言葉に恐れをなしていたら、タオ指圧も、和田寺タオサンガの音楽
念佛もありえなかった。このことを、今回ほど強く感じたことはありませんでした。
また、「カルマはすべて自分が引き受ける。たとえ地獄に堕ちても、、、」という言葉、、、、。
そこまでの想いで法を伝えていらっしゃることの重みに、修行者の端くれとして、思わず
襟を正さざるを得ませんでした。
さて、住職の修行の続きは・・? 次回はどんな話になるか楽しみです!
住職の法話ライブ: 宗教の本質について語っています。今回のインタビューで
「伝統」という言葉が出てきました。内容が関連しているのでお勧めいたします。
〇「社会にとって危険なものこそが宗教の本質」
http://www.ustream.tv/recorded/79660209