和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/
第十三回
――前回お話し頂いたことのーつは、当時通っていらした念仏道場の人間関係のしがらみから、何とか自由になる方法はないかと、一生懸命考えていらしたことについてでした。
住職:はい、私が道場から逃げようと思ったのは、放浪の人生を送るためには、一カ所に縛られているわけにはいかなかったからです。
それに、二度と帰らない旅に出て行く状況作りのための算段は、いろいろとしていました。
前に申し上げたように、指圧学校に入学したのもそのためだったし、悲壮な覚悟でバイオリンの練習を始めたのもそのためでした。
――どうしてバイオリンだったんですか?
住職:持ち運びが可能で、独りで演奏できる楽器だからです。
バイオリンを抱えて、ジプシーみたいに旅しながら路上で演奏しよう、と。
――どうして悲壮な覚悟だったんですか?
住職:習いに行こうとしても、二十歳からバイオリンを始めるのは
無理だと、方々で言われたり、入門を断られたりしまして、、、。
それでも、引き受けてくれる先生を何とか見つけて、指圧学校に通いながら、1日4時間は練習していました。
それで1年ぐらい努力したら、何とか即興でも弾けるようになったんです。
――「気心道」(だいわ文庫)に掲載されている写真は、その頃のものだったんですね。
住職:そうです。また当時は、今と違って、路上で演奏するミュージシャンなんかほとんどいなかったんです。
それで、清和荘(有名だった東京
三大ボロ・アパートのひとつ)に住んでいる西洋人ヒッピーと一緒に、新宿の路上でバイオリンを演奏したら、すぐに人が集まりましたね。
写真は路上演奏した時のものです。
――その他、修行や教えに対して抱いた疑問についても、お話しいただきましたよね。
住職:はい。放浪人生の準備を進める一方で、人生の真実は何か?とかの考えを拭いさることはできませんでした。
心理学や仏教書などの本もよく読んでいました。
そして、それを解決する手段は、悟りを求める修行でしかないことも、心の奥底では認識していました。
――音楽演奏での神秘体験で芽生えた、悟りを求める心や、修行まで放棄するおつもりはなかったということなのですね?
住職:はい。また、だからこそです。逆に、そこでの修行や教えに対する
疑問も生まれたのではないかと思うのです。
――なるほど、道場の人間関係から自由になり、二度と帰らない旅に出る方法を考えていたとお聞きすると、住職にとって修行や真理探究は、二の次だったのかなと、つい思ってしまいました。
しかし、全くそうではなかったのですね。
住職:それは、当時の自分にとって、放浪者の最高のヒーローは一遍上人で、近しく思っている放浪人は山頭火ですから、、、。
――一遍上人は、生涯放浪しながら、踊り念仏をしながら念仏を広めた方ですね。
前から思っていたんですが、一遍は、一回という意味ですか?
住職:はい。で、なぜ一遍という名前だったかと言うと、「南無阿弥陀仏」と書かれた札を配って歩くんです。その札を受け取った人は、“なむあみだぶつ”と一遍(一回)は読むことになります。
そしてその時の一遍の念仏で、お札を読んだ人が、お浄土に救われるからだそうです。
――面白いですね。
住職:60万人に札を配るつもりで、裏に「決定往生60万人」と書か
れてあったそうです。
そして生涯かけて、約46万人に配られたそうです。
――盆踊りの元は、踊り念仏だったと聞いたことがありますが。
住職:はい。それで当時の踊り念仏は、二階の床が抜け落ちるほど、多くの人が激しく踊ったりもしたようです。
“一遍上人の一行の念仏踊りで二階が抜け落ちたけど、尊い一遍上人の足跡だから、そのまま
に残しておく”なんていう記述が、どこかに残っているそうですから。
――なんだか、今のRAVE(レイブ)みたいですね。
(注:RAVEとは、ビートの激しい音楽でトランス状態になって朝まで踊り続ける集まりのこと)
住職:当時は、ずいぶんと批判もされたと思います。“一体何のために
踊るんだ?”なんて他の僧侶に質問されて、“弥陀の救いに与ることができた喜びに、手は舞い足を踏むところが知らないから”と答えたりしています。
――住職は、一遍上人のどのような所に惹かれたんですか?
住職:一遍上人の素晴らしいところは、すべてを捨て去るという潔さです。
“身も捨て命も捨て、浄土を願う心も地獄を恐れる心も捨てて念仏するんだ。
そして、山河草木、吹く風までもすべてが念仏なんだ”、と詩っています。
――うーん。かっこいいですね。それから、他の放浪人で住職が近しく感じられていたのが、山頭火でしたね。
住職:はい。何と言っても山頭火は、ダメ人間ですから。(笑)
――(笑)
住職:彼は若い頃、酒に酔って線路に立ちはだかり、市電を止めてし
まったんです。それで、寸でのところで人々の袋叩きに遭うところを、
寺に連れていかれ、そのまま僧侶になってしまった人です。
――珍しい僧侶のなりかたですね。
住職:もともと酒造りの家だったんですが、お父さんは酒で社会生活
がダメになり家業が傾きます。
その後、山頭火自身も酒ばかり飲んで、結局家業を潰し、結婚生活も破たんします。
――そうだったんですか、、、。
住職:おそらく根っこにある原因は、お母さんが、不倫相手と井戸に飛
び込んで自殺したことでしょう。
まだ子供だった山頭火は、遺体が引き上げられるところを見てしまったらしいんですね。
――お父さんは、そのショックで酒浸りになったんですね。
また、山頭火も、、。
住職:出家はしたものの、酒もやめられず、結局、全国を放浪しながら
自由俳句を創って歩くんですが、常にお母さんの位牌を持ち歩いていたそうです。
――俳人としては有名な山頭火ですが、何だか切ない話ですね。
住職:行く先々の寺で読経しては、お母さんの供養をしていたようです。
――当時通っていらした道場での修行も、“一切のたましいの救いを祈願しながら念仏する”というものでしたね。
ところでこれは、伝統的な浄土門の修行とは 少しスタイルが違うと聞いていますが。
住職:はい、違います。しかし、一切衆生の救いを祈願するというのは、
大乗仏教の基本的なスタンスです。
「生きとし生けるものは限りがないから、誓って救うことを願う(衆生無辺誓願度)」は、どの宗派でも基本的に唱える偈文(詩)です。
だからこの祈願自体は、否定的な疑問の入る余地がないものだとは思います。
――ご自身が、道場に通われることで、ずいぶんと心身共に楽になられたというお話しもお聞きしました。
住職:はい。その点から言えば、ある意味、自ら念仏の霊的効果の実際
を体験したようなものと言えます。
だから修行や教えに対する疑問を持ち、それをぶつけるなんて、言わば、タオ指圧を受けて病気が治ってから、あーだ、こーだと文句たれるようなことかも知れません。
――しかしそれでも、疑問は疑問として取り組まれたということなんですね。
住職:前回お話ししたように、「宇宙の真理とは何か?」という視点で
考えたら、宇宙大霊を人格的な存在としてのみ捉えるのは、“何か違うんじゃないか”とか、思うわけですよ。
――で、その疑問に対しては、どのように対処されたのですか?
住職:よほど疑問や文句を、道場を運営している人たちにぶつけてやろ
うかとか、会報に原稿書いてやろうかなどとも考えました。
しかし、すんでのところで踏みとどまったんです。
――それはまた、どうしてですか?
住職:果たして自分は、一切の救いへの祈願に集中し、三昧(瞑想状態)
に入っているだろうか? と自身を振り返ってみたんです。そうしたら、
二時間の念仏修行の内、五分も祈願が持続できていないという、自分の現実
に気づいて、愕然としてしまったんです。
――なるほど。
住職:よく考えてみたら、自分は、ただ二時間座って声を出して、終
わったら、“ああ、楽になった”と帰るだけだったんです。
別段深い瞑想状態に入っているわけでもないし。そんなこともできていない自分が、エラそうに文句たれるのは、“よく考えたら、かなりカッチョ悪いのではないか?”と思ったんです。
――自分のことを棚に上げて、つい言ってしまいがちですけどね。
住職:それで、決心したんです。まずは毎回、二時間ホントに集中して
祈願し続けようと。
そんなこともできていないのに、エラそうに文句言うなんて、と思ったわけです。
――できていない自分を、見て見ぬふりはできなかったのですね。
住職:そこの道場に通う目的が、修行のためよりも、人間関係などの他の所にあったら、こうはなれなかったでしょう。
内容に疑問を抱いたり人間関係的なストレスがあったら、いくらお世話になったとしても、辞めてしまったと思います。
――修行コミュニティに所属することと、修行そのものを混同することは、往々にしてあることだと思います。
しかし、その辺はブレなかったんですね。
住職:自分が求めていたのは、何らかの団体に帰属することではなくて、
あくまでも人生の真実でしたし。
――修行は、あくまでもそのためだった、と。
住職:まあ、自分的にはそうでした。
それにも関わらず、修行できていない自分を見て見ぬふりしたり、自分をごまかしてしまったら、人生の真実どころか、自分の真実すらわからなくなってしまいます。
だから、道場がどうかという問題はともあれ、まず自分の心をちゃんと修行できている状態にしよう、と。
そう思ったんです。
――で、実際にされてみてどうでしたか?
住職:いやー、二時間祈願の念を持続するのが、こんなに大変なことだとは、、、とびっくりしました。
それで、もう必死になりました。
顔がひんまがるぐらい。
必死になって、死にものぐるいで、心を祈願に集中し続けることに努めたんです。
――できたんですか?
住職:いやー、何度も言うようだけど、それこそ必死です。
顔をひん曲げながら、冷や汗流しながら、とにかく毎回二時間がんばり続けました。
――へぇー。
住職:で、そんなことを週に3、4回もしていて、3、4か月が経った
頃でしょうか? 何だか不思議なことが起こり始めたんですよ。
―続く―