和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。http://endo-ryokyu.com/blogs/
松本国際念佛道場 住職の話を真剣に聞き入る海外、日本メンバー
-- 昨年のインタビューでは、新たにでき
た松本の国際念佛道場での「念佛ハイ!」
の話を伺いました。
参加された方の感想文も読ませていただき、
「念仏でこんな深い霊的体験ができるんだ!」と
驚きました。
まるで映画のシーンを観ているような場面も
あって、すごい!と思いました。
住職: 皆さん、いろいろ体験されていて
面白いですね!
-- 念仏に対して抱いていたイメージが、
がらりと変わりました。
住職: 僕が18歳のときに出会って数年間
通っていた念佛道場は、「念佛ハイ!」の感想文
のような体験をうたっている所だったんです。
だから僕としては、むしろ、何だか元のところに戻っ
て来たような感覚がありますけどね。
-- そうなんですか?
私は、祖母がよくことあるごとに
「ナンマイダ、ナンマイダ」とぶつぶつ言っ
ていたので、「念佛」と聞くと年寄りがなに
やらぶつぶついうものだ、というイメージが
先行していました。(すみません)
住職: ああ、そうですか。
-- とにかく、よく言っていました。
暖かい布団に入る時も「ナンマイダ」です。
(笑)
「ナンマイダ」ってなんだろう、、というこ
とも聞きませんでした。
いまとなっては聞いてみたかったなと、、。
住職: そういえば幼稚園の時に2、3歳上
の子から「ナンマイダ」と言うんだ、
と聞いて、“どう言うのか教えて欲しい!”と
一生懸命乞うた記憶があります。
その子はそれ以上教えてくれなかったし、
親に聞いても取り合ってくれなくて、
残念な気持ちになったことを記憶しています。
-- 幼稚園の時に、、、。
ところで一般のイメージとしては、
私の祖母がやっていたような念佛と、
「念佛ハイ!」の感想文に書かれていた
ような念佛体験とでは、
ずいぶん違っているように感じます。
私は、祈る対象が違うのだろうか?
つまり、何のために祈るかという、
その核にあるものが違うのだろうか・・・?
などと考えるのですが、、、。
住職:「念佛ハイ!」での体験はすごくて、
お祖母さんがされていた念佛は大したこと
ない、という単純比較が、果たして成り立つの
でしょうか?
-- どういうことですか?
住職: だって、もしかしたらお祖母さん
は、とてつもなく深い祈りのもとに念佛して
いて、内的にはすごい体験をしていたかも知
れないじゃないですか。
-- あっ、、、。
確かにそうですね。
住職: 江戸時代ぐらいに本になり、
鈴木大拙博士(禅を世界に広めた学者兼
修行者)が取り上げて一般に知られるよう
になった、「妙好人」という人たちがいま
す。
-- はい。
住職: 彼らは下駄職人とかの市井の人たち
で、学問もありません。
でも、朝から晩まで念佛を唱える生活を送
り、その心境を詩に書き残しているんです。
-- 朝から晩まで念佛ですか、、、
生活そのものが念佛だったんですね、、。
住職: 鈴木大拙は詩を一読して、“一般の
僧侶などには及びもつかないほど深い、
悟りの境地が詠われている”と驚嘆します。
そして、一般に広くその存在を紹介して行
ったんです。
-- へぇー。
住職: 中でも有名なのは、浅原才知という
人で、和田寺のある石見にいた人です。
記憶から詩を1つ引っ張り出すと、
「わしが阿弥陀になるじゃない。
阿弥陀の方からわしになる」なんていうのが
ありました。
-- 不思議な句ですね。
住職: 才知は、阿弥陀様と一体になる融合
体験を得ていたんです。
この詩は、阿弥陀様が他力的に自己に宿って
下さることを詠っています。
-- 宇宙大霊との融合を語っているん
ですね。
住職: 聖書の“もはや我生きるにあらず、
キリストわが内にて生きるなり”という、
パウロの言葉を思い出します。
また「法蔵とはどこに修行の場所あるか。
みんな私の胸の内」なんていうのもありまし
た。
-- どういう意味ですか?
住職: 「法蔵菩薩が一切の生きとし生ける
ものが救われることを願って修行し、阿弥陀
様になったので、誰でも念佛を唱えたら浄土
に往生できるようになった」というのが浄土
教の神話的コンセプトなんです。
-- はい。
住職: 才知は、「みんなわたしの胸の内」
と言っていますから、“自分が一切の生きと
し生けるものの救いを願って念佛するから
こそ、阿弥陀様がわたしになって下さって浄
土に往生できるのだ”と詩っているのです。
-- 深いですね。
住職: 才知にしても僧衣を着ているわけで
はないし、学問もない。
ただの下駄職人です。
側から見れば、とても悟っているようには見
えなかったかも知れません。
でも実際には、こんなに豊かな内証
(内なる悟り)を得ていたんです。
-- そうですねー。
住職: いつもいつも念佛を唱えていた
お祖母さんがどんな境地にいらしたかは、
側からはわからなかったでしょう。
でも、もしかしたら、深い悟りを得て、凄い
世界を体験していたかも知れないですよ。
-- ええ、、そうですね、、。
住職: ただね。
霊的体験がそのままイコール高い境地とは
限らないんです。
ここは気をつけなくてはならないところで
す。
豊かな人格として現れないのなら、念佛に
よる霊的体験も、脳内ドラッグ体験と変わら
ないということですから。
-- なるほど。
脳内ドラッグ体験ですか、、。
霊的体験が、必ずしも豊かな人格や
悟りを表すものとは限らない、と。
住職: 集中的な念佛三昧によって、
非日常的な霊的世界を体験をすることは可能
です。
ドラッグなんか使わなくても、人間の脳はあ
る一定の条件を与えれば、そのような体験を
するようになっています。
-- 確かにスピ系の体験談には、
普通ではありえないような話が掲載されてい
ることがありますね。
住職: たとえ悟りそのものではなくても、
”現実は物でしかない”という
「唯物信仰」の洗脳から覚めるためには、
非日常的な霊的体験をすることは良いこと、
だと思います。
また、古代からそのような体験を得るための
システムはありました。
-- そうなんですね。
住職: 僕はこれを健康的な形で現代に蘇ら
せることが必要だと思っています。
それで、意識変容のシステムを現代に蘇らせ
るための方法を創ろうとしているんです。
-- 「健康的な」という形容詞が意味する
ところはなんでしょうか?
住職: 例えばオームに行ってしまった人た
ちがいます。
彼らは現代社会の唯物信仰の洗脳には染ま
らなかった。
でも、不健康なカルトに掴まって洗脳され、
利用されてしまいました。
-- 唯物信仰の現代で生きていることが
息苦しかったからこそ、オームに行ったんで
しょうにね。
住職: 霊的に健康だったら、現代社会で生
きることが息苦しいのは当然のことなんで
す。
でも、その息苦しさから解放してくれるよう
な霊的な飢えを満たす所は、今はどこにも
ありません。
-- はい。
住職: 悲しいかな、一般には、
他の皆と同じように、息苦しい
唯物社会の信者になるか?
あるいは洗脳され、利用されるカルトか?
そうでなければスピ系ビジネスの客になる
か? という三択しかありません。
-- 本当に、どこにも救いがない時代です
ね。
オーム事件は、この「どこにも救いがない」
という現代社会を浮き彫りにしてしまったん
ですね。
住職: 唯物社会か、カルトか、スピ系の
ビジネス客か?という選択しかない中で、
唯物社会の息苦しさに心が押しつぶされそう
な人にとっては、カルトが甘い水に見えて
入信してしまう。
あるいは、せめて精神世界という商品を買う
「お客様」になろうとするのです。
-- 住職は、一体どのようにして、
人々の霊的な飢えを満たすような「健康的な
システム」を創ろうとされているのですか?
住職: チベット仏教にしても禅にしても、
修行によって自分がどのような世界を体験す
ることになるのかは、前もってわかりませ
ん。
-- はい。
住職: 修行のプロセスにおいても、得た自
身の境地を、節目ごとに師匠にチェックして
もらい、導いてもらわなければなりません。
-- そうですね。
住職: だから禅もチベット仏教も、師匠
(グル)への絶対的な帰依を基本にしている
のです。
-- はい。
住職: しかしその師匠が本当に悟っている
のかどうかなんて、わかりません。
もしかしたら実際にはエゴが強い人なのかも
わかりません。
もし師匠が、共感性も罪悪感もなく、人の心
を言葉巧みに操るようなサイコパスだった
ら、「自分は悟っている」と人に思わせるこ
となど簡単にできます。
そうなると、修行することが身の破滅でしか
なくなってしまいます。
-- だからオーム以降、宗教アレルギーが
増えたんですね。
住職: そこで、”精神世界に入っても危険が
ないように”と、一過性の客になろうとする人
が多いのです。
-- うーん、、、
オームは、いろんなところに影を落としてい
るんですね。
住職が考えていらっしゃるシステムとは、
どのようなものなんですか?
住職: 修行を始める前の時点で、
「自分がどんな世界を体験することになるの
か?」を体験できるシステムです。
また修行のプロセスにおいても、
「自分の境地を自身で認識する」システムが
あれば、間違った道や方向に行かなくて済み
ます。
-- そんなことが可能なんですか?
住職: はい、可能です。
また、ここ数年取り組んで来た「必ず悟りを
開くことができる修行メソッド」がやっと完
成したんです。
簡単には表現できない内容なので、
これから本に書こうと思っています。
-- 本当ですか!?
いつごろ世に出る予定なのでしょうか?
住職: 実はここ何年も、“途中まで書いては
破棄”を繰り返していたんです。
念佛メソッドなんて、もう毎日のように書き
換えていたぐらいだし、、、。
-- そうだったんですか、、、。
住職: 一方、オーケストラ的な音楽念佛の
行法も生まれました。
これのCDレコーディングをしたら執筆を進め
られるな、と思っています。
-- へぇー!
オーケストラ的な音楽念佛の行法なんです
ね。初めて聞きます。
それがCD化されるのですか?
ぜひ、聴いてみたいです。
住職: 盛り上がって楽しいし、本気でやれば
意識変容が起きますよ。
-- 話は変わりますが、
自分が苦悩から解放されるために行う念佛を
「修行」だと思っている人もいます。
住職: はい。
-- そのような動機で行う念佛は不純なも
のだと思われますか?
住職: 昔から、仏教修行に入る動機は、
「世を厭う気持ち」です。
人間存在の悲しさを、心の底から体験してい
ない人に、いくら修行を勧めても無理です。
-- はい、、、。
住職: ただ、「我が身が大事」が抜けない
人は、いくら本人的には修行のつもりで念佛
していても、苦悩から解放されることはない
でしょう。
-- そうなんですね。
住職: 「自己の心の苦悩は、一切の生きと
し生けるものの苦しみの現れだし、自己の悟
りは、一切衆生の悟りです。」
このことが無意識にでも理解できるかどうか
が分かれ目ですね。
-- 、、、。
住職: もし、直感的にでもこの点がわかれ
ば、“他者の苦しみを救わずして、自己が苦悩
から解放されることはない”と、わかります。
そして、“他者の悟りを願わずして、自己の悟
りはない”こともわかるんです。
自他不二(自分と他人は二つに分かれてい
ない)は、単なる仏教哲学の用語ではありま
せん。
実践そのものなんです。
-- はい。
住職: 自他不二が実践的に分かりさえすれ
ば、どうしたら苦悩から解放されて幸せにな
れるのかがわかります。
そして、タオサンガが行っている念佛や利他
行の持つ真の意味が理解できることでしょ
う。
そして、もはや“お客様”としてではなく、
本気で悟りの道に進むことができることがで
きるようになると思います。
本物の道を求めるなら、自分自身も本物に
ならなくてはならないですから。
インタビュー後記
明けましておめでとうございます。
今年も「住職に聴く!」をよろしくお願いい
たします。
今年一年、住職からどんなお話をうかがえる
か、わくわくします。
今回のインタビューで印象に残ったことがい
くつかあります。
「念佛ハイ!の体験はすごくて、お祖母さん
がされていた念佛が大したことないという単
純比較が、果たして成り立つのでしょうか?
」という問いに、はっとしました。
また、「いつもいつも念佛を唱えていたお祖
母さんがどんな境地にいらしたかは、側から
はわからなかったでしょう。
でも、もしかしたら、深い悟りを得て、凄い
世界を体験していたかも知れないですよ。
」という言葉。
このあと、自分が傲慢だったと感じて、
ひどく恥ずかしくなりました、、。
それから、「人々の霊的な飢えを満たすよう
な“健康的な修行システム”」
を創ろうとされている」というお話。
また、「ここ数年取り組んで来た“必ず悟りを
開くことができる修行メソッド”がやっと完成
した」と聞いた時には、興奮しました。
本になり世に出るのが待たれます。
そして、「「自己の心の苦悩は、一切の生き
とし生けるものの苦しみの現れだし、自己の
悟りは、一切衆生の悟りです。」このことが
無意識にでも理解できるかどうかが分かれ
目ですね」というお言葉。
自分の苦悩は、一切の生きとし生けるものの
苦しみの現れ、、。
これを聞いた時、なんだかふっと楽になりま
した。
自分のネガティブなところは、できるだけ見
たくない、避けて通りたい。
そんな気持ちがあります。
ですが、それをスルーしてしまっては、
一切の生きとし生けるものの苦しみも感じる
ことはできないのだろうと思いました。
「オーケストラ的な音楽念佛」
ぜひ聴いてみたいです!!