和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/
第三十一回
――とうとうお釈迦様が悟りを開かれた菩提樹のある村、ブッダガヤまでたどり着いた、、というところまで聞きました。
“ここでのある出来事が、後になってとんでもないことになった”とおっしゃっていましたが、その辺りの話をうかがっていいですか?
住職:ビックリしたのは、すさまじいまでの暑さでした。
涼しかったカトマンズから南下して、インドのパトナまで着いたんです。
そうしたら、暑さはもう想像を絶するほどでした。
――時期は、いつ頃だったんですか?
住職:インドの夏に当たる4月下旬です。何度ぐらいかというと、直射で50度以上でした。
何と、体温より空気の方が暑いんです、、、。
僕は夏生まれなので、いくら暑くても大丈夫だと思っていたのですけど、、、。
でも、食べる物も宿も最低辺のものばかりだったし、下痢だってよくしていた。
当時はミネラルウォーターも売っていないし、体力も弱って、けっこう参りましたね。
――冷房完備のホテルに泊って、良いレストランで食べようという発想はなかったんですか?
住職:もともと日本を野宿しながらヒッチハイクで旅していた人間だから、そんなこと考えもつかないですよ。
片道航空券で日本を出て、陸路でヨーロッパまで抜ける予定だったし、お金だって十数万円しかありませんし。
――なるほど、、それもそうですね。
住職:暑さでへとへとになりながら、何日かかけて、バスでようやくブッダガヤという村に、夜遅く着いたのです。
――ブッダガヤは、お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹のある村ですね。
住職:着いてバスを降りたら、2人の人間に会ったんです。
一人は仏教僧侶らしき白人。もう一人は、スカートみたいなインドの民族服(ルンギ)を着ている日本人青年でした。
――へぇー。
住職:最初に話しかけてきたのが、白人僧侶でした。
僕が、“泊るところを探しているんだけど、、、”と言ったら、“じゃあ、僕が泊っているビルマ寺に案内してあげる” というので、ついて行くことにしました。
――日本人の方とは?
住職:“じゃあ、またその辺で会いましょう”と、お互い声をかけあって別れたんです。
――なるほど。
住職:実を言うと、その日本人青年とは、後にベナレスの宿で
再会しました。同じ宿で、2週間ほど一緒に過ごすことになった、通称“ボッちゃん”です。
――そういえば、住職から聞いたことありますね、その人の名前。
住職:当時彼は、オーストリアのワーキングホリデーでお金を稼いだ後、シンガポールから北上して、タイからバングラデッシュ経由でインドに来ていたんです。
――へぇー。
住職:3年前、僕がパレスチナで活動したときのレポートを彼が読んで、NPOアースキャラバンに協力してくれることになったんです。
パレスチナの非暴力抵抗運動のTシャツ制作の資金を寄付してくれました。
――ああ、それで聞いたことあったんですね、「ボッちゃん」という名前、、、。
30年前、ブッダガヤに降り立ったときに出会った人が、NPOアースキャラバンのパレスチナ・Tシャツに寄付してくださるとはねぇ、、、。
何か運命的なものを感じますね。
住職:インドって、そういう偶然がよく起こる土地みたいなんですよ。
例えば、行く先々で、なぜか必ず再会するドイツ人がいて、あまりにも偶然会うんで、最後は少しだけ一緒に旅したり、、、。
――すごいですね。
住職:カルカッタに行ったら、日本を出発する直前、高円寺の路上で知り合った人が同じ宿に泊っていたこともあります。
かと思うと、何年も会っていなかった人と、インドでバッタリはち合わせしたこともあります。
――へぇー!?
住職:逆に、インドで知り合った人と、日本に帰ってから道で偶然バッタリ会うなんていうのも、2回ぐらいあります。
――じゃあ、あまり驚かないですね。
住職:まあ、そのたびに驚くことは驚くんですが、また起こったか!という感じですね。
――ふふふ。
住職:で、白人僧侶に連れられて、ビルマ寺の宿坊に行ったんです。
でも、部屋に入ったら、夜にも関わらず、あまりの部屋の熱さに後ずさりして、思わず部屋から出てしまいました。
――どうしてですか?
住職:石でできている部屋なので、昼間の太陽の熱であぶられて、部屋がすっかり熱くなっていたんですよ。
――それは大変、、、。
住職:もう寝るどころではありません。
――それで、どうしたんですか??
住職:屋上で寝たんですよ。
蚊の猛攻に悩まされて、ろくに眠れなかったけど。
――うわ、それも大変ですね。
住職:結局、翌朝5時頃起き出して、その白人僧侶を誘って、日本寺のお勤めに一緒に出たんです。
僧侶の格好している彼が、走っているトラックを停めると乗せてもらえるんで、便利でしたねー。
――なるほど。
住職:ただ、あとで考えるとヘンなんですが、彼は座禅もちゃんと組めなかったんです。
――うーん、、、。
住職:お勤めが終わって村の食堂に入り、朝食を食べながら話を聞いてみると、ニュージーランド人でした。
タイで坊さんになった、とのこと。
今は、タイからお金が届くのを待っている、とも言っていましたね。
――はい。
住職:なぜかやたらと僕についてくるんで、2日ほど、彼と一緒に、ブッダガヤを回ったりしたんです。
――お釈迦さまが悟りを開かれた菩提樹を見て、いかがでしたか??
住職:仏教徒としては、やはり感激しましたね。
シッタルダがスジャータから乳粥の供養を受けた河もありましたし、、、(夏で干上がっていたような気もするけど)。
――でしょうねぇ。
住職:坊さんの彼がやたらと奢ってくれるんで、何だか妙だなー、とは思いました。
――妙というのは?
住職:だって、タイ系の坊さんなら、布施で生活しているわけでしょう?
その坊さんが人に奢るなんて変じゃないですか。
信者は、彼が人に奢るために布施したわけではないんだから。
貧しい人に施しをするなら、まだわかりますが。
――ああ、なるほど。
住職:それで 2、3日したら、“ついにお金がなくなった。今度はあなたが奢ってくれないか”と言い出すんですね。
――とうとう、、。
住職:まあそれで、昼、夜とおごっていたんですが、どうも怪しいなー、と思いましたよ。
―― 、、、ですね。
住職:まず、タイで坊さんになったというのに、タイの寺院ではなくビルマ寺に泊っている。
――そうか、ブッダガヤには、いろんな国の寺があるんですね。
住職:日本を含めた仏教国の寺はみんなありました。
日本寺以外は泊めてくれるんです。
――日本寺は泊めてくれないんですか?
住職:檀家さんたちのツアーだけみたいですね。
日本式の風呂まであって、すごい良いらしいけど。
――なるほど、やはり「日本」ですねー。
住職:でも、ボッちゃん情報によれば、本は貸してくれるらしいですよ。
―― 、、、あはは。
住職:坊さんなのに座禅も組めないというのは、理屈でわかる彼の“ヘン”な所ですが、僕はむしろ理屈でなく直感的に、こいつは怪しい。ニセ坊主だろう、と思ったんですよ。
そして、“このままでは、「タイから金が届くまで」と言いながら、ブッダガヤにいる限りはずっと奢らされ続けることになるなー”と思いました。
――そんな人いるものですかね?
住職: いるいる。当時のインドは、旅行者も、それに群がってくるインド人にも、人間動物園みたいな人たちがいましたよ。
日本人で、他の旅行者にお金借りまくって返さないとか、ただで毎日、日本人食堂でつけで食べて返さないとか。
それも、ニセ坊主と同じような、“日本からの送金を待っている”という口上でしたね。
――なるほど、それでどうしたんですか?
住職:直感した翌日の夜明けには、密かに宿を出ました。まだ暗い内に、ブッダガヤからガヤ駅行きのバスに乗ったんです。
そして、そのままバラナシまで列車で脱出。正直言って、ブッダガヤには未練があったけど、いずれはまた来るつもりだから、まあいいか、と。
――なるほど。でも単純に、あなたにはもう奢らないよ、とは言えなかったんですか?
住職:彼は、こちらが仏教徒だって知っていますからね。
「おまえは仏教徒なんだから、坊さんに供養するのは当然だろ」という、暗黙の文化的プレッシャーもあるわけですよ。
それに、人の頼みを断れないタイプだったんで、、、。
――その辺りを見抜いていたんじゃないですか?
住職:ははは、今でも人に見抜かれてばっかりですよ。
――あはは!
ところで、“ブッダガヤで大変なことになった”というお話は、この事件のことですか?
住職:いえいえ、こんなのは取るに足らない、旅のエピソードのひとつに過ぎません。
――では何があったんですか?
住職:実は屋上で寝ていたとき、蚊の猛攻を受けて、どうやらその時マラリアに感染したらしいんですよ。
――えーっ!そうだったんですかぁ!?
―続く―