住職に聴くwadaji
住職に聞く! 第十回 生まれてはじめて安らかに眠れた
和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。
喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?
遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/
第十回
――じゃあ念仏会には、「何かわからないけど、気持ちがいい」という実感で、いつの間にか行き始めたのですね。
住職:そうですね。まあ、身も蓋もない言い方ですが、ただそれだけ
です。
――それで、切実に求めていた精神の安らぎは、得られたんですか?
住職:それがねえ。まったく期待していなかったんですが、参加す
る毎に、どんどん身も心も軽くなっていくのが、実感でわかるんです。
――へぇー、不思議ですねぇ。
住職:今まで、身体に覆いかぶさっていたような重苦しさが、どん
どん取れていくんですね。
毎回、念仏会の帰りには、“ああ、楽になった?!”と、心底、ホッと息をついていました。
――求めていたものに出会ったということなのですね。
住職:毎週、三回か四回通って、三ヶ月も経った頃には、すっかり
楽になって、生まれてはじめて、“安らかに眠るというのは、こういうことを言うのか、、、”と、思いました。
ものごころついてから、自分が安らかに眠ったことがなかった、とその時、気づいたんですね。
――大きな変化でしたね。
住職:それで、リーダーのおばあちゃんに、“ずーっと重苦しかった
けど、何だか、とても楽になりましたよ”って言ったら、“そりゃ、あなたには救われない霊が、山のようにたくさん!集まっていましたからねぇ。それらがみな救われて行ったから楽になったんですよ。”なんて言われてしまいまして。
―― ええ!? そうなんですか!そんなことがあるんですね?。
住職:こちらにしたって、“そんな妙なこと、あるもんなんですか?”と、半信半疑です。
でも、自分があれほど切実に求めていた安らぎを得ることができたのは事実。
“たしかに楽になったしなあ、、、”と、まあ実感が邪魔して、さすがに生意気なガキも、うまいぐあいに反論できないわけです。
――なるほど。
住職:その上、“こんなにたくさんの救霊が来ていたのは、あなたにくっついていたら、いつか救ってもらえると思っていたからですよ。
それは、あなたが、それだけ気高い霊的人格を持っているからなんです”と、たたみこまれてしまいました。
――へぇー。
住職:最初は、言っている意味がよくわからなかったんですが、ど
うやらエラく誉められているらしい。
それで、ますます反論しにくくなってしまいました。
――なるほど、誉められると反論しにくくなりますものね。
住職:自分は世の中に適応できず、高校を二つも中退した。臨時雇い
のバンドマンをやる程度で、まともな仕事もしていない。
ましてや、少し前まで破滅的な生活を送っていた。
自分は社会の落伍者で、ダメな人間である、と信じて疑わなかったんです。
太宰治の小説に、「人格破たん者」という言葉が出てくるんですが、自分は、そうではないか、と思っていました。
――なるほど、自己イメージと違ったんですね。
住職:まあ、その辺はいまも、大して変わらないんですが。
それはともかく、日常生活を送ることで重苦しくなっても、念仏会に参加すると、すっきりとするんですよ。
――原因はともかく、念仏会に出ると、重苦しくなっていた気がすっきりと取れて、楽になるんですね。
住職:逆に言えば、念仏に行かなければ、どうにも重苦しくなってくるわけです。
自分としては“何だか念仏会中毒になったみたいで、イヤだな?”と思いました。
――どうしてですか?
住職:周囲を見渡しても、他の友人たちは、そんなことはないんですから。
で、“何で自分だけが?”と思うわけですよ。人と違う自分というものに、苦しんできたのですから。
――なるほど。
住職:かといって、同じ信仰を持つ“普通の人”たちが集まるところだからか、何だか、妙に居心地が悪いんです。
もしかしたら、人に認められることのなかった自分が、やたら誉められることも、原因の一つだったかも知れませんが。
――“人と違うのもイヤだし、普通もイヤだ”と。
まさに、揺れる十九歳の心ですね。
住職:そうです。そうです。
それで念仏会には、なるべく行かないようにしようとするんです。
でも二、三日したら、どうしても足が向いてしまうんですよ。
重苦しくなっていても、参加すると、爽快になって身も心も軽くなるもんだから。
それで、週に何度も念仏に行くということを続けていました。
――行くと、楽になるのに、どうしてまた念仏会に参加しないようにしたんですか?
住職:だって、そんな信仰めいたものに、はまり込みたくないじゃないですか。
――なるほど、ねぇ。
住職:でも、それからですね。自分の本格的な葛藤が始まったの、、、。
いろいろと、深刻に煩悶するようになっていったのです。
―続く―